「社会学者への夜明け前」の章
さて、時代は高度成長期の真っただ中です。その頃に支配していた価値観は、人よりも良い生活するためには、「良い大学を出て、優良な企業に就職し、そして定年まで勤めあげる」ことで「勝ち組に入れる」というものでした。そしてそのシステムが見事に機能していた時代でもありました。見事に勝ち組に入れた人達の特典は、新三種の神器(カラーテレビ、クーラー、自動車)をいち早く購入できることであったりしますが、誰もがこの快適さの恩恵に感動し、憧れた時代でもあります。
高校生になった椎野青年も、ご多分にもれずこのシステムへの挑戦者であったので、就職のことまではまだ考えてはいませんでしたが、とにかく勝ち組へのステップの一歩目である、良い大学に進学することは決めていました。
と、同時に「自分とは何なんだろう?」と考えるようになります。これは誰しも自分の進路について考える時に向き合う問題かもしれませんが、椎野青年は「自分とは何か?」という問いの回答を考えるのに、自分の考え、性格や特徴、好き嫌い、独自性に焦点をあてていけばいくほど「元来自分というものは、何かありそうで実は何もないものなのだ」ということを思うようになります。
そして、そういうものがあると思い込んでいたものは全て幻想で、「自分とは何か?」というのは、「(今までの人間関係や世間の価値観など)複合的に絡み合っている社会との関係性から影響を受けたものを、自分はただ投影しているに過ぎないのではないか?」と思うようになります。
そのような疑問から「では、自分を形成しているこの社会とは何のか?」ということに興味のベクトルが向かい、それを明らかにするのが「社会学」だという結論になります。
取材者の分析としては、このように思いいたった経緯は、急に大学の進路を考える時期になって思いついたというよりは、幼いころより「自分の周りには自分以外の人間がいる」という生活環境から芽生えた意識であったり、とにかく好奇心旺盛で外からの情報をむさぶるように吸収していった中で、「自分自身と自分に何かしら影響を与える外の世界」ということを無意識レベルで何度か自覚してきたことが影響しているのではないかと思います。
さて、勝ち組を目指して、そして本質的な疑問を解消するために、進路は「一流大学」で「社会そのものへの理解を深める」学部=【一橋大学社会学部】へと舵を切ることになります。
以上が、幼少期から高校生までの椎野先生のヒストリーになります。