「家族以外の人達に囲まれて」の章
父親は、第二次世界大戦中はベトナムに出兵していましたが、終戦後2,3年後に日本に帰国し、戦争とは全く畑の違う、兜町にある証券会社で勤め人になりました。
母親は、千葉の農家出身でしたが師範学校を経て小学校の教師になりました。
そして1950年前後、二人は出会い結婚し、1952年に椎野先生の姉を出産し、翌年1953年に椎野先生が誕生します。
母親は、千葉の農家出身でしたが師範学校を経て小学校の教師になりました。
そして1950年前後、二人は出会い結婚し、1952年に椎野先生の姉を出産し、翌年1953年に椎野先生が誕生します。
母親は、今のような育児休暇制度もなかったので、出産後はすぐに教師へ復帰されました。ですので、幼いころの記憶で母親べったりというものはありません。が、その時にいたお手伝いさんや隣近所の色々な人たちに面倒をみてもらっていたので、母親が側にいないことでの孤独感というのはありませんでした。現代とは違って、ご近所同士で助け合いながら地域社会で子供を育てていく、というのが普通の時代だったのです。
幼いころの原風景を伺うと、自分が母親でなない誰かにおんぶされながら、
「自分の周りには自分や家族以外の色々な人たちがいて、その中に自分もいるんだ」
という漠然と思っていた記憶ということです。
幼心に、自分は自分1人で成り立っているわけではなく、色々な人との「関わりあい」の中で成り立っているのだ、ということが体験的に身に付いていったと言えるかもしれません。