ヘルタースケルター
B5W41902 瀬島菜那
全身整形のりりこが、トップモデルから落ちていく様を描いた作品だった。
この作品を150万人もの人が見て、22億円もの興行収入を記録したのだと知った。人からどう見られるかを気にして着飾っている人(女性?)にとっては、自分の意志で容姿を変え、トップモデルにまで上り詰め多くの人から注目された、りりこの生き様がかっこよく見えたのかもしれない。そうだろうか?また、人から称賛を得るために容姿を良くしようとする努力の苦しさが、りりこの落ちぶれ方から感じることができたのも、この作品が多くの人から見られた理由の一つなのだろうと思った。はい、こうした努力の苦しさは、多くの女性は了解済みだが、だがこうした努力をやめることはしないのでしょう。見られる対象としての女性の身体の評価を、女性自身が内面化してしまったから、こういった作品が好まれるのだと思った。はい、「内面化」をどう評価しますか?
雑誌に女性向けと男性向けがあって、女性向け雑誌のほとんどがファッション雑誌であることに、今回のゼミに参加して気づくことができた。(街で気づけるようになりましょう。)確かに考えてみれば、雑誌コーナーにはファッション誌ばかりが並んでおり、ファッション誌以外のコーナーには男性向けのような雑誌ばかり並んでいたように思う。欧米では男女別に雑誌を作っていないことを知り、日本では趣味や興味の分野にも男女差が設けられていることが分かった。(はい、男女二分法社会日本です。)
男に認められることに必死になる女性は、現実にはたくさんいるのだろうが(日本の社会構造がそうなっているのです。)、男に認められること以外に興味を持っていたり、男に認められる必要を感じていない女性がテレビ出演していることはそう多くないように思う。(男以外に生活費の当てがある女性が少ないのです。)そういった女性は決まって変なものを見るような演出がされる。また、どんなに有名で才能のある女性でも、彼氏の有無や恋の話、料理ができるか否か、おしゃれをするかどうかなどがインタビュー中や他のテレビ出演者から聞かれている。現実にはそんなことに興味のない女性がたくさんいたとしても、そういう事実はメディア上ではなかなか見ることができない。(メディアの女に関するディスコースのあり方がそうなっている日本です。)男に認められようとしない女性は女性としてカウントされておらず、メディアを作る男性には見えていない、もしくは見ようとしていないのかもしれない。はい。(ジェンダー後進国日本の姿です。そんな男女を大量生産している日本です。)そうした中で、「見られる女性」をどう再認識していきますか?