苗木
私がこの映画を初めて見たときに、これまで持っていたイスラエルのイメージとは違い、設備のいい老人ホームに住んでいる人々が出てきていて、ギャップに驚いた。そしてイスラエルにはパレスチナを襲撃している側面(中東戦争、いわゆるパレスチナ問題)と、自分で死に方を選ぶ裕福な側面(先進国としてのイスラエル国家)の二面性があると理解した。はい、イスラエルの二面性を理解することは大切です。イスラエルは、西欧なみの国民所得の水準で(一人当りのGDPは、日本よりも高いのです)、90年代の高度経済成長によっていわゆる先進国(OECD加盟国)となっています。と同時に、貧富の差(所得格差)が大きく、人口の1/3は貧困層なのです。
日本では植物人間になった場合、呼吸器などをとめる判断は本人か血縁関係にある家族が決めるときいて、私のおばあちゃんは肺の病気で自分では呼吸ができなくなり、私は幼かったため植物人間と呼ぶ状況だったのかは覚えていないが、おじいちゃんが呼吸器を外す判断をし、家族が病院に集まって外し、おばあちゃんは亡くなったことを思い出した。はい、日本型の尊厳死のケースでしたね。日本のすべての病院が、同じなのではなく、病院によって、対応が異なっています。
ディスカッションで、先生が言っていた「日本人は死後の想像ができないから人生をちゃんと生きられない」という言葉に納得した。私は長生きしたいと思ったことはないし、痛いのは嫌だなあとは思うがいつ人生が終わってもいいと思っているタイプなので、まさに自分がちゃんと生きられない人に入るのかなと思った。そうなのでしょう。人生がまだ始まってもいない日本の若者層が、「いつ死んでもいい」などと言うのは、一見「悟った」人のように聞こえますが、人生が始まっていないだけのことなのでしょう。現代日本には、人生を始めることもできない若者が大量にいるのでしょう。(そして人生を始めないまま、死を迎えることになるのでしょう。)
ディスカッションの発言を聞いて、他の人は生きている中で死ぬことについてあまり考えないように感じた。
(何か考えていることはあるのでしょうか?)
現代の医療は相当人を生かすことができるということだが、それはいいことなのだろうか。現代医学は、「脳死移植」のために、「脳死」概念を発明したのです。呼吸がとまり、心臓も止まったら(プラス瞳孔が開いたら)人は死ぬはずだったのに、大抵の病気(難病は除いて)は治るようになり、簡単には死ななくなったから人生を長く感じで(意味不明)適当になってしまう部分もあるのではないかと感じた。寿命が長くなることと人生が長くなることは、別のことなのでしょう。寿命が長くても、人生が始まっていない人が多いのが日本のようなのです。