岡部さよ子
イギリスの首都ロンドンを舞台に、ヨーロッパやアジア、アフリカ大陸からパスポートを持たずにやってきた不法移民や難民たちが、違法合法問わず手段を尽くして日々生きる様子が描かれている。公開は2002年。
ロンドンにあるホテルといえばどれも高級なものばかりだと思っていたので、映画の中のホテルの従業員がほぼ全員移民であったことにまず驚いた。以前読んだ『ハンナ・アーレント「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』の中に、アーレントがドイツから他のヨーロッパの国々を経てアメリカに亡命した時、アーレント自身はアメリカ人家庭の家事手伝いのような仕事をしながら英語を習得し、アーレントの当時の夫はタクシー運転手として働き、二人で生計を立てていた話があった。自分が生まれ育った国では職業の選択ができても(シェナイの場合はできなかっただろうが)外国ではまず言葉の壁がある。日本でも外国でも、突然の状況の変化があっても生きていかなければならないので、「今自分にできること」を必死にするしかない。それがシェナイにとってホテルの清掃員であり、スウェットショップでの仕事であり、支配人とのセックス(これは仕事ではないのでは)だった。
日本で生活する自分に引き寄せて考えると、今は日本で大学生という肩書きを持ち、親の援助もあるためアパートを借りたり銀行口座を開設したりすることができるが、外国では自分が外国に居る「正当性」を証明することが求められる(visaが必要です)。現時点で日本から放り出されたら、私の存在はシェナイとそれほど変わらないだろう。自分の半径3メートル程の日常について考える時、「日本国民としての自分」ということに無自覚であるし、国際社会の情勢が自分にどう影響があるのかゼミの外では話題にも上がらないが、自分が今普通に暮らせるのは「日本国民」だからであって、国民の身分を外すと、自分の生命が保障されていることは絶対的なことではないと気づくことができた。
また、以前見た「サンバ」でもそうだったが、移民捜査局の移民や難民に対する言動が威圧的で、相手を悪いと決めつけたように接していることが気になった。移民捜査局の者というだけで、正式に移民・難民の手続きをしているようなシェナイのような人の家に上がりこんで、物を壊したりすることがなぜできるのだろうか。「サンバ」ではサンバ自体が不法移民で、今回の映画でシェナイは政治難民としての規則に反して他の人に家を貸している(職を得ている)という疑惑が持たれていたため、捜査局の対応も威圧的だったのだろうか。はい、「調査」でなく「捜査」とはそうゆうものなのです。公式見解としては「適正・公平の原則」「基本的人権」の尊重が言われますが。
移民たちの人間関係について、どう見たかも書いてください。