苗木
この映画は、日本(浜松市)にいる日系ブラジル人に焦点を当てた映画で、私たちが実際に暮らしている日本の話なので、思い浮かべやすく、他の移民映画に比べると想像しやすく感じた(何を想像できたかを書いてください)。私が小学生の時(低学年、中学年、高学年?)に、ブラジルではないが、パキスタン人?(なぜ、?なのですか。)の女の子がいて、その子は最初日本語も英語も話せなかったので、先生たちが困っていたし(苗木は困っていなかったのですか)、その子だけ毎日数時間、先生と一対一で日本語の勉強をしていたことを思い出した。(何が起こっていたのでしょう?)その子はすぐに日本語を話せるようになっていた(どうしてでしょうか?)し、高校にも通っていたので(高校卒業したのか?その後は?大学進学?それとも就職?)、ピンキリでいうとピンの方だったのかなあと思った。ピンなのだろうか?
映画の中ででてきた場面で、日本で生まれ育って友達や恋人も日本にいて、ブラジルには足を踏み入れたことがないにも関わらず、ブラジルに帰らなければならないというのは、帰るという表現がおかしいと思った。「国籍」について、それが何かを、考察してください。
ディスカッションであったように、日本で生活をしていてもデカセギの人たちの現状を知らない人の方が多いと思うし、子供の権利条約の話でも、日本で生きてきた中で詳しく学ばずに疑問を持つこともなく生活していたということに気がついた(はい、ですが、「学ぶ」観が、受身でないでしょうか?)。日本では多くの人が高校までで卒業して、勉強はある程度できて必要な知識を持っているつもりになっているが、実際にはもっとしらなければいけないことがたくさんあって、考えなければいけないことがあるのにそのことさえも気づかないで生活しているというのが問題だと思った。しかし、それをどうしたらいいのかというのは難しい。問題は、一時、自覚するが、「どうしたら良いか」分からない(難しい)ので、そのまま。この繰り返しで、生きていくのでしょうか? 気づかなければ、知らないことや考えなければならないことは、そのままで良いのでしょうか?「難しい」ことも、少し知ったり、考えたりしてみませんか?