苗木
この映画は、全身整形をほどこしたモデルりりこの転落を描いている(とされている)。
最後の記者会見の場面で、りりこが目を刺したことに対して、自分とは違う解釈の仕方を聞くことができて新鮮だった。(自分の解釈の枠組は何で、違う解釈の枠組は何かを、検討して、記述してください。)私はこの映画を見ながら、当時この映画が女性からの人気が高かった(どの情報ですか?)のはなぜだろうと考えていた。女性の多くが感じているであろう美を追求したい気持ち、人目を気にしてしまうこと、人から必要とされたいという気持ちを主人公のりりこはやりすぎだと感じるほどに追求して、全身を整形して満足のいく美を作り、人から注目されるがそれを失うことを恐れてSEXしてつなぎとめていた。そういう部分が、自分ではできないと魅力的にも感じて人気が出たのではないかと考えた。今の女性の憧れ、を指摘してくれていますが、その指摘内容で現代女性のあり方を追認して終わりではなく、なぜ女性はその内容(人(=他者と言う意味)志向の女性のあり方)なのかを検討するのが、社会学の初めだということを理解してください。他人志向が女性の「本質」なのだから、その「本質」を指摘して、思考を終わらせるのは、反社会学的思考なのです。
ディスカッションの中で出た、「若い女を消費するのは男」という意見は、私はこの映画を見ていて思いつかなかったことだった。たしかに、「男以上に女の方がモテることをステータスにしている」と聞いて、男は女にモテること以外に仕事での地位やお金などをステータスと考えているように感じるが、女は性格や地位、顔がいいなどいい男と言われる男性と付き合っていたり、たくさんの男からモテることをステータスにすると感じる部分があったので、納得した。これも女の「本質」を指摘しているので、「本質」」を理解して思考終了は、社会学ではないのです。これは女あるいは男の「本質」ではないし、「本質」だとされていることであり、問題は、なぜそう言う男女観が出回っているのかを解明するのが社会学なのです。「常識」的思考をアンラーンして、社会学を始めませんか。