亀も空を飛ぶ
B3w41102 蛭田一樹
ここ(2004年のイラク)に生きる少年たちは少年ではなく、(保護者のいない)「大人」として暮らしていかなくてはならない。近代以前の人間の扱い方かなと最初は感じたが、そうではない。大きい大人が小さい大人を酷使(?近代以前「酷使」しているわけではありません。)するの図ではなく、幼少期から青年まですべて大人である。(逆に言えば「大人」がいないのです。)サテライトは大人顔負けの「大人っぷり」を見せ、したたかに生きていく。だが、救世主のアメリカ兵が来てすべてが終わる(とは描いていません。)と、仕事がなくなり、自らのアイデンティティを失った(そのような描写はありません。)。(「ベンゴウ」と「アグリン」の物語はどう見ましたか?)いつまでもこれだ。何も知らない人がずかずかと入り込んで救世主宜しく、さまざまなものを変えていく。(フセイン派ですか?)終戦直後の日本もそうだった。(そうか?「無条件降伏」をどう理解していますか?)明治政府によって、近代「国家」となった日本をアメリカが憲法にまで口出しをして変えた。(そうか、第二次世界大戦において、大日本帝國は、ファシズム国家になったのですよ。ファシズム憲法観を擁護するのですか?自民党のアメリカ押し付け憲法論そのままの意見ですね。)今も我々が守っている平和(「平和」を守っていますか?)は、彼らから与えられた価値観である。(自民党解釈と同じですね。)私たちは日本民族ではないから、全員が「国家」に縛られる必要はない。(意味不明)戦争が終わり70余年、「国家」としての体系をとっているが、再編を考え始められる時ではないか。(その中身は?)アメリカの首相(???アメリカ合衆国に「首相」はいません。)が戦後初めて広島を訪れた。アメリカの大統領が変わる。(任期が終わるので当然のことですね。)第一次世界大戦や第二次世界大戦で各国の反省のほとぼりも冷め始めた。(そう言うのは日本人の言説です。「反省」論が好きですね。)「先進国」として名高い日本もジェンダーランキングが低いことも分かった。(意味不明)サテライト少年がアイデンティティを失いその後が描かれてはいないが、きっとまた彼自身の立場を見つけることができるだろう。(その後のイラクの歴史展開を知りましょう。)しかし、ここで「日本をもう一度立ち上げよう!」などと考えてはどこかの国の首相と同じになってしまう。私たちが立ちあげられるもの(この発想が理解できません。)は何だろうか。別に明治体系の「日本」が恋しいわけではない。お国のために死ぬなんてまっぴらである。沖縄の問題だってあるし、北海道もアイヌの上に立っている。そもそも関西と関東もなにか敵同士のような価値観を持っている(そうか?文脈が理解できない)。東西分裂や南北問題では言いすぎだが、4方が4方で問題を持っている(そうか?)。それが民族なのだろうか。(?)私は民族意識のようなものを自覚したことはない。(自覚しなくても実行しています。)だから、正直日本民族といわれても高校生の頃は疑いもしなかったし(でしょ。)、このゼミで「日本」について知ってから、教職の一般教養にも謳われている「日本民族として」という一文に疑いを持つこともなかったかもしれない(はい、それが日本の民族意識です。)。民族:民族(みんぞく)とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。土地、血縁関係、言語の共有(母語)や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となるが、普遍的な客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いことから、むしろある民族概念への帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもある(wikipediaより)が指す内容から察するに、民族事態(自体?)に概念はない場合も多く、主観的自己民族帰属意識がもとになり客観的基準となることから、私のなかの「日本」に対する民族意識はないものと思われる(そうか?では日本語を喋ってはならぬと言われても、「日本」に対する民族意識はない、と言えるのか?)。場合によっては原子力発電所を設置されたことに対する、東海村民族(この使い方は、一般に了解せれません。)として、原子力発電は実体験した人間という位置づけの下、安易に稼働してほしくないし、絶対反対という民族意識は持っている。(民族意識それ自体が問題なのではなく、近代に置いては「国民」と「民族」が一体化したことが問題なのです。)まずは日本人から自分を脱却させたとき、自分が属するのはどこかという部分(いつ「日本人」と自分が同一化したのですか?)や、なにに帰属意識を持つかという点だろうか。帰属意識がどうして「国民」や「民族」と一致するのかが、近代「国民国家」を成立させた近代の問題なのです。クルド人も少数派だが、我々日本もアメリカの領地に生きている、各地域の少数民族になっているともいえなくもない…。クルド人の実態を知らぬまま、「クルド人」と「日本人」を少数民族扱いするのは、「クルド人」に対して失礼ですね。日本は「アメリカの領地」だというのは、大きな説明が必要ですね。
全体的に、映画のコメントではなく、素朴な「日本」民族観の記述であり、まだ考えが不確かすぎますね。