縞模様のパジャマの少年
B3W41102 蛭田一樹
ナチスに虐げられるユダヤ人の図はとても有名だ。有名な図だけ知って知った気になっているのでしょう。歴史の教科書でも、義務教育を終えても、何かしら会う機会はある。その図をリピートするだけ。あるドイツ人の話によると、ドイツ人が虐殺を反省しているという話は現代においてはあまり当事者意識がなくなっているらしい。あるドイツ人の話にして、歴史問題を「反省」問題に還元して、道徳問題としてしまうのがどこかの国のお得意な歴史観ですね。私たち日本社会に生きる人々でさえ、遠い時代の話と思うケースは多い。第二次世界大戦におけるナチス・ドイツと大日本帝國の関係を理解している人が少数派ですね。(ドイツで)ホロコーストを体験している人は減っている。しかしこの映画を見たときに、プレゼンターの菊池君がホロコーストだけではないと言っていた。そのユダヤ人が逆襲した話もある。ただ、今回私が中心に見ていたのは、よく菊池君が今の日本社会を、全体主義の風潮があると言っていたことに影響する、日本との類似点である。椎野先生の口からもきく言葉でもある。ファシズム体制を日本社会は現在も払拭していません。日本人の「分別の良さ」であったり、怒りを逆手に取られやすいことであったりである。分別の良さに関しては、一級品だと思う。(「分別の良さ」という表現に違和感があります。)まず、「分別(ふんべつ)」は、良い悪いではなく、有る無しの問題です。分別のある、分別のない、です。「良さ悪さ」が問題になるのは、「分別」でなく、「物分り(ものわかり)」でしょう。多分、ここの「分別の良さ」とは「物分りの良さ」のことでしょう。「物分りが良い」=「分別がある」という関係になっています。現代の日本語では、「分別(ふんべつ)」の意味は、もともとの意味(理性でものを考えること)を離れて、「世間の道理・常識」のことになってしまっており、分別がある、とは、この「世間の道理・常識」に従うことを意味しています。蛭田がここで言いたい「分別の良さ」とは、「世間の道理・常識」に従う「分別」があること=物分りの良さ、のことなのでしょうね。子どものころはあれだけ「なんで?なんで?」と、いろいろなものに疑問を持っていたのに大人になってからは「そういうもの。」として迎合してしまう。世間の常識に従うこと。ファシズムの特徴の一つに、集合的情緒の一体感があり、反主知主義の傾向があります。
迎合していると言えば、私のバイト先の室長が先日、勤務中に私とコーヒーを添えて(?)、就活についての講習が20分ほど開かれたことがあった。その時に話に上がったことは、ブラック企業はあくまで給与を与えず働かせるという意味くらいで考えてほしいということ、仕事の内容と給与体系はちゃんとマッチしているということの二点だった。前者については、大学の教員は週40時間を超える労働を酷使だと言ってしまう変人だと前置きをしたうえで、(労働時間週40時間は世界の標準であり、日本の労働基準法でもそう規定されています。)国際基準に従わないガラ系日本人の典型ですね。)人間は40時間を超えても働けるから、別にそんなことにこだわらなくてもいいということだった。言っていることはわかる。(分かってはいけません。法治国家日本の否定を擁護する必要はありません。)自分で自分の首を絞める第一歩です。24時間×7日間で、168時間休みなく生命活動をしているのだから、その間会社で何かをすることは可能だろう。働くことは人生の大部分を占めなくてはいけないのだろうか。(1/3が世界標準です。)働く中で生きがいを見つけることになってしまったら、会社がなくては生活できなくなってしまう。(ワークホリック日本人の発想)私は仕事を生きるうえでのやりがいの一つになったらと考えているから(仕事以外の「やりがい」は何と考えていますか?)、40時間以上働ける場所よりも、40時間は働いて、残りの128時間を労働に使わない選択をしたいと考えている。(その選択を許さない日本の労働環境のおかしさを認識できる学生になってください。)また、後者に関しては、「この人は分別をつけて働き続けているのだな」と感じた。(この「分別」は、世間の常識という意味ですね。)仕事の内容は業種職種ごとに決まっているのだから、それを一概にブラックと決めつけたらどうしようもないという話だった。(いやいや、労働条件は世界で標準化されているのです。)営業職は営業を取るための仕事なのだから、仕事をとることにストレスを感じてしまったからと言って、ブラックにしてはいけないというようなことを言っていた。(「ブラック」の意味が恣意的ですね。)そう考えることは人それぞれだし、かまわない(いや、それぞれでなく、おかしいのです。かまうのです。)が、結果的に「女性」が働きやすい仕事、「男性」が働きやすい仕事に分かれてしまっているのも現状である。この現状をジェンダー後進国病だと認識できない可哀想な日本人の一員にならない方が良いですよ。「そういう仕事」と割り切ることもいいが、何かアップデートできるものを見つけて、仕事を変えていければそこで働く人たちも変わっていくのかなと感じた。(意味不明。)どうしても人は大きな力の前では無力になってしまう。これをファシズムと言います。「人」の習性ではありません。どれだけ熱い思いがあってもだ。就活中はそういった大きな力の性質をよく見て、分別を押し付けられないように生きている。ファシストは、ファシストを増員させることが生きがいです。そして日本人は「常識」人として、ファシストになっていくのです。