アフガン零年 b3w41102蛭田一樹
この映画を見て、私が感じたことは2点ある。
一つ目に、ムハンマドが9歳の子どもと結婚したからその年齢から「結婚」できるという理論に驚いたことだ。これをイスラム法としているのは、イランやサウジアラビアなどであり、他のイスラム諸国は、15歳ぐらいにしています。一夫多妻制というイメージは男女の間に大きな差があるということではなく、「そういう社会」だ(どんな社会ですか?)と思っていた。(婚姻年齢と、一夫多妻制とのつながりが理解できません。)以下の文章のつながりが分かりません。私は、近代人は今あるものは昔から続いていて、正しいという考えを持ちがちだと理解している。はい、だがこの「今あるもの」自体の認識が間違っていることが多いのですが。僕自身、この「近代人」に育てられた身であるがゆえに、それ特有の考え方を持ちがちである。(それを持っていること自体は、問題ではありません。それが正しいとか、昔からと考えることが、問題なのです。)現代とそれ以前とで価値観が違うのだな、と思ったことは江戸時代である。それまで幕府が倒されることは天皇が変わる(天皇も変わりましたが。)程度のことだと考えていた。昭和が平成に代わる(年号が変わるって何でしょう?))みたいに、当事者(当事者って誰でしょうか?)以外は関係ない程度だ。だが、かの坂本龍馬は時代を変えようとして動いていた。つまり、新しい国を作ろうとしていたのである。(尊皇討幕で、大政奉還で、天皇の近代国家体制を計画した。)この話の流れがつかめない。これはある新書に書いてあったことだが、大分県の方で新しい独立国家を作ろうとする動きがあったようだ(いつの話ですか?)。新興宗教か怪しい話と思ったが、国家転覆を狙うものではないらしい(国家転覆を狙うことはいけないことなのですか?)。今の「日本」から距離を置き、新しい国に住む、自分たちで生活をするということだった。「ミニ独立国」運動は、「新邪馬台国」を第1号として各地にあります。最近では沖縄独立運動があります。かつて明治のころ、某作家がやろうとしたことに似ているだとか。武者小路実篤の「新しき村」のこと?60年代には、「コミューン」運動もありました。いまでこそ、「日本」という国家が出来上がってしまって、無謀に見えるこの計画も、幕府の変遷(?江戸幕府の崩壊と明治近代国家への移行)を見ていると不思議はないと感じる。「近代国家」は、近代において(想像を持って)構築されたものなのです。鎌倉幕府から江戸幕府もすべて政治行政の面から変わっている。ということは、旧態を変えようとして変えた人がいるということだ。ここでは何を言いたいか不明。近代「国家」からポスト「国家」への脱構築の可能性についての気づきですか?
こうした自らの近代的な部分(これは何?)に気付けたこと(何の気づきかをもう少し説明してください。)は自分自身うれしいのだが、学んでもなおこうして気づけていない部分(これは何ですか?)があることにもどかしい思いを感じる。
二点目として、アフガニスタンにも男女平等に近い社会だった(そうか?アフガンが、タリバン支配の前に、男女平等社会だった、というのは日本人ぐらいなものでしょう。)のに、この時代には男性中心の社会に変わってしまい、その片鱗も見られないことだ。タリバンに従わないとやっていけないというところを利用してつけこむのは、とても汚いやりかただ。(タリバンは正統な国家政府ではないのです。)男女は、お互いが必要としていた存在ならばどうしてお互いの益のために動けなかったのか…。(男女有別役割論という近代主義の男女観?)タリバンのイスラム原理主義は、宗教を強化したというがその実は男性の強化だった。特に女性は性の対象になってしまうということが大きな衝撃だった。ジェンダーランキングでは日本もそう変わらない(何が?)。先日受けた会社もそのような印象(どのような印象ですか?)をうけた。だが、男女平等でない影響を受けたことはあくまで僕の感覚であり、事実かどうかはわからない。(男女平等って何かを、考えてください)「片一方をおとしめているでしょ」という指摘(意味不明)は、もしかしたら男女を区別している(この意味は何ですか?)が故の発言かもしれない。