2001年の9.11以後、2003年にアメリカ軍はイラクに侵攻し、イラク戦争が始まった。この映画は、フセイン政権崩壊後のイラク北部のクルディスタン(クルド人の地)の小さな村が舞台である。イラン・イラク戦争や湾岸戦争、内戦など戦いが繰り返される地域で、地雷を掘り起こして(タリバンや国連に)売るなど危険な仕事をして生きる(避難民の)子どもたちと、そこへ難民としてやってきた兄妹とその子どもが、心や体に傷を負いながらも生きて行く様子(死に様も)が描かれている。
映画では少女がイラクの(フセイン派の)兵士によってレイプされていたシーンがとてもショッキングだった。イラクでは国民の大多数がイスラム教を信仰しているが、そうした(フセイン政権の)国で育ち兵士になった人間がレイプをするというのは、相手を精神的にも身体的にも打ちのめし、イスラム教圏内で社会的生活を送ることを困難にすること、死んだも同然のような状況にすることが目的(の戦術)であるだろう。もちろんイスラム教にかかわらず戦争や紛争時の民族浄化としてのレイプもあるし、やはり相手を生きたまま殺し、その後も自分を責めさせたりすることは同じであるし、どちらがひどいとかましだとかそういうことを言いたいわけではない。しかし、今でもイスラム教の教えの解釈が強い力を持つ国では、レイプの被害にあっても被害女性が姦通罪などで罰せられることもあるはい。国によって対応は違うとは思うが、(女性が)そうした罪にも問われかねない社会で相手(女性)をレイプするというのは、非常に強い悪意を感じる。「性奴隷」扱いの女性観です。徹底的に女性を手段化してます。
「ニュース映像では知ることのできないイラクの悲痛な現状」が描かれているとDVDの付録冊子に書いてあった。ニュースでは取り上げるだけの問題になった時に難民について報じられるはい。難民として移動する最中に家族と別れて人身売買された可能性のある子どももいるとニュースでは言っていた。「人身売買」とはどういうことかがまず自分には理解が難しく、なぜか臓器を売ることを連想してしまっていた。しかし、こうした混乱のなかで行なわれる人身売買のなかにはセックスワーカーとして働かせるのを目的にしたものも多いのだと思った。はい、Traffickingトラフィッキングと言われる問題です。国内の情勢の悪化から国外に脱出を試みても、目的地にちゃんと着くかもわからず、着いたところで送り返される可能性もあり、道中も人身売買などの危険と隣り合わせであるのが難民の現状であるということを改めて理解した。はい、「難民」ということで、どのような状況の物語を想像できるかその想像力を高めるようにしましょう。
また映画では地雷で手足を失った子どもが出演していて、少なからずインパクトがあった。地雷の被害にあう子どもの存在が報じられないことによって、そうした子どもたちはいないことになってしまう。映画に手足のない子どもが出てきた時、「本当にいる」と思ったのは、いないことになっていた子どもの存在に驚いたからだと思う。はい、良い気づきです。「いないことになっている子どもたち」について、いることを理解する自分になっていきましょう。「戦争しか知らない子どもたち」「医療を受けられない子どもたち」「教育を知らない子どもたち」「文字を読めない子どもたち」などなど、こうした子どもたちは、いないのではなく、いるのです。日本の「子どもたち」も実はいないことになっている子どもたちなのです。
亀も空を飛ぶ
|岡部 さよ子