この映画では、第二次世界対戦中、ナチス将校の父親の強制収容所の所長就任に伴い家族とともに田舎へ引っ越した少年が、収容所のフェンスで出会った同い年のユダヤ人の少年(縞模様のパジャマの少年)と交流する様子が描かれている。
ディスカッションで指摘されるまで、なぜナチスによるユダヤ人虐殺に関する映画が、アカデミー賞にノミネートされたり受賞したりするのか、またはなぜそうした映画は作られるのにもかかわらず、パレスチナ問題など一部のユダヤ人が関わっている「ホロコースト以外でユダヤ人が関係している出来事」についての映画が作られないのか(または作られても大々的に取り上げられないのか)ということについて考えたことがなかった。アカデミー賞についても、誰が受賞する映画を選べるのかということについても最近それが話題になるまで知らなかったし、どのような基準や考えに基づいて映画が選ばれているかということについて特に気にしていなかった。(例えば日本では無批判的に報道されている「ノーベル賞」にも、それがどのような「賞」なのか、なども関心を持津ことが大切です。)
少なくとも日本では、そうしたことを気にせずに映画を見る人は少なくないと思うが、特にホロコーストのような出来事を描く映画を見る時にはあまり良い見方ではないのではないか。ホロコーストは架空の出来事ではなく実際に起こったことであるが、なぜそうした映画が作られるのかを全く気にしなかったら、それはただの映画になってしまうのではないだろうか。(日本ではただの「映画」を見る人も少ないのです。)特に日本ではアカデミー賞を取った映画は無条件に「見るべき映画」として宣伝される傾向がある。それがどうして「見るべき映画」なのか説明されずにアカデミー賞を取ったことを理由に映画を見るなら、ホロコーストのことが描かれていても中学校の歴史の科目レベルの理解しかできないのではないだろうか。(中学の歴史レベルの理解をしている人は、優等生であるのが、現在日本の現状となっています。)
ゼミで映画の本編を再生する前に、この映画の製作に関わった人たちのインタビューが流れていたが、そのなかで脚本家の人や俳優たちが「原作・脚本を読んで何回も泣いた」と言っていた。映画を見る前の私にはなぜ泣くのかよく理解できなかったのだが、それは日本とヨーロッパ(イギリス)におけるナチスドイツや彼らがしたことの捉え方、教育の仕方が異なるからではないかと思った。ナチスドイツに関する教育のされ方が違うことの要因の一つとして、日本はナチスドイツがしたことについて教えられるほど全体主義を相対化していないことが挙げられるのではないだろうか。はい、20世紀前半の日本のファシズムに関して、戦後の省察がなかった戦後日本です。そのツケが21世紀の現在日本の現状に現れています。私は、大学の他の授業でもホロコーストについてはよく取り上げられていたため、それについて知ってはいるつもりだったが、知っていたのは「起こったこと」についてだけで、それがどうして起こってしまったのかということについてはよく理解していないことがわかった。そのメカニズムを知らないと、「歴史は繰り返される」のです。今の日本のように。
縞模様のパジャマの少年
|岡部 さよ子