移民の多い地区であるパリ20区の学校生活を映した映画だった。はい。
生徒の質問に先生が全部答えているシーンは印象的だった。(これが先生なのです。)人数が少ないことで、生徒の質問に答えやすいということもあるだろう。(人数が多い教育をしているのは「先進国」では日本だけです。)また、日本とフランスの教育方針の違いもあるだろう。(どう違うのか調べてください。)この学校が荒れていた(?)ために生徒の私語(?)がやまなかったのかもしれないが、それでもあの面倒な質問一つ一つに答えようとする姿勢で、先生が生徒たちに真摯に向き合おうとしていることが分かった。はい。私のいた中学校では、生徒一人一人の些細な質問に全部答えようとする先生はいなかった。(それが現在の日本の先生です。)授業中の私語は禁止で、質問ができる時間は授業中にはなかった。(監獄方式の学校を未だ行っています。)日本の学校は先生の話をじっと黙って聞く授業が一般的で、ただ単にその授業スタイルを維持していただけなのかもしれない。(時代遅れの授業スタイルしかできない先生が多いです。)1クラス40人弱のクラスだったので、誰かが話し始めると収拾がつかないということもあるだろう。先生の言ったことに従わなければいけない雰囲気のある日本の学校より、今回の映画に出てきたような、生徒の質問に一つ一つ答えようとする先生がいる中学校に通えるのというはすこしうらやましかった。(少し、でなく、それが人間形成に与える影響を考えると、日本人の作り方に異を唱えらることが重要でしょう。)フランスの小学校の「フランス語」の教育目標が、自分の考えを相手に正確に伝えるコミュニケーション力をつけるというものだそうだ。それに比べ、日本の小学校の「国語」の授業には、自分の頭で考えるような授業はない。(それが日本の教育目標です。考えない人間を作ること。)総合の授業はその役割を果たしていたのかもしれないが、先生自身も手探り状態の授業だった。(はい、付け焼き刃的です。)国語や算数の授業では、先生からの質問には答えられても、全く自分の意見や質問を言える雰囲気ではなかった。(子供の権利条約無視の文科省の教育です。)フランスの、自分の考えを伝える力をつけるための授業が小学校から行われていたからこそ、中学校でもあのように生徒が授業中に先生に質問をたくさんできたのだろう。そして高校、大学と続くのです。
また、移民の学生がクラスに多くいたところが、日本の学校と違っていた。日本の学校には外国籍の学生が少ない。(いなくて良いのが日本の公立学校です。)これから少子化に伴い移民を増やすとなると、自己主張をする外国籍学生が増えることになるだろう。(日本人は自己主張しないで良いのですか?)空気を読んで、言いたいことを言わない日本の慣習を貫くことはできなくなるかもしれない。(移民の問題ではなく、日本の問題です。)自分の頭で考え、主張できる人間を育てなくてはいけない。自分では、そうした自分を育てていますか?