「グッドライ」
B3W41102 蛭田一樹
直訳すると「いいウソ」になるタイトルを持つこの映画、わざわざタイトルにするということは最後に何か大きな真実が来るのかと思ったら、自分の代わりに兄が帰れるように手配するということだった。(大きなことなのですよ。)身分証を偽り、国を渡るということは褒められたものでは無い。(日本の入管(入国管理局)の発想ですね)平時では許されないウソをつくことの何が「いいウソ」だ、と考えていた節があった。(平和=平時ボケ日本の典型ですね。)だが、難民問題は手続きでどうにか処理していけるものではないということを伝えたかったのかなとも思う。(「難民問題」ってどんな問題なのですか?)難民とは、今すぐにでもその国を出たり、ほかの国で保護したりしてもらわないとその苦しみ(これは何ですか?)(苦しみの問題なのですか?)から逃れることはできない。そこに行政上の手続きや順番待ちが存在すると、なかなかその現状(これは何ですか?)から逃れられない。だが、どんな人が来ているのかを受け入れ側で把握して、(どうやって把握するのですか?)彼らの身分を保証すること(身分保証って何ですか?)も大切である。これは大きなジレンマだと思う。
世界はグローバル化し、ひとつなぎになっていきつつある(そうでしょうか)。難民・移民は世界に散らばり、その地に順応していくことになる(その地ってどこですか?)。その中で、彼らが彼ららしさを残していくことはその地の文化(これは何ですか?)と寄り添っていくことを難しくさせるだろう。例えば私がイスラム圏に行って、(あなたは難民ですか?)男女の別なく話したい(なんのためですか?)としても、それは難しくなってくる。では適応しようとしてその国の人間となれば(「その国の人間」になるとは、どうゆうことですか?)いいのか。これも極端だし、フランスの移民政策のことを考えるとイスラム圏の人間にいきなりフランス人(フランス人って誰ですか)になれといわれても難しい。その国の在り方を理解したうえで自分を保持することが苦しいことも分かる。(苦しいことが分かるとは、どうゆうことですか?)
考えを変える必要がある。「地球市民」という考え方があるが、国境を越えて地球市民になった(意味不明)と考えるから、その変化に戸惑う。地球に住んでいるのだから「地球市民」(そうですか?宇宙に住んでいれば宇宙市民?)。国境を移動しても「地球市民」と考えればことは難しくないように思う。「地球市民」ってなんですか?
また、この作品のキャリーの本気度がわかるシーンがある。私は就活を始めなくてはならないが、働く手続きがどのようなものか調べていない。(働くことは「手続き」なのですか?、マニュアル世代の発想ですね。)これはこの作品でいうところの悩んでいるだけの人間だ(実習に向けての準備があったのですが・・・)。ただ、何もしないで悩んでいるだけの人間はなかなか面倒だ。だからこそ、実習が始まったら動き出さなくてはいけない。(虻蜂取らずでは?)いますぐ説明会に行くことは焦っているだけなので、事を仕損じると思う。(はい、でも、仕損じても良いのではないですか?)実習が終わったら、私立学校の求人を見てみたり(もちろん働き方は選ぶつもりだ)(選択できるのですか?)、これから面接してくれる企業を探したりしていく。(???)はたらくことに現実味を持って取り組むことは遅れてしまいそうだ(遅れてしまう、という問題でしょうか?)し、この気後れしてしまうクセ(クセで、しょうか?)はなおさなくてはならないなとつくづく自分を戒める。(「自戒」で良いのでしょうか?)キャリーのように「本気」にならないといけないなといけないなと思いました。(「本気」主義も危ういのですが。)働くことはどうゆうことかが、理解できていない人の文章ですね。