B3W41087 苗木
この映画の最初の場面は女性たちのデモのシーンから始まったが、先生がこのようなデモは実現しなかったといっていたのを聞いて、実際はデモができなかったのなら働き手の男性がいない家庭の女性たちは飢え死にするしかなかったのだろうかと疑問に思った。はい、90年代のイスラム原理主義のタリバン支配下においてはそれが現実でした。内戦で、多くの一般市民が殺害され、難民として街から放り出されました。(数百万人単位の難民なのです。)(今現在も、シリアからの難民が注目されているが、アフガンはその次に難民が多いのです。)
少女が男の子のふりをしていたのがばれた時に急に井戸のようなところに吊るされて、生徒はみんな見ないふりをしていたが、あれはなぜ吊るされる必要があったのかわからなかった。イスラム原理主義のタリバンでは、男女の入れ替わりは、極刑に値する罪なのです。子供なので、この程度の「罰」で済んだ。
少女が裁判にかけられたときに老師が結婚するとして死刑はまぬがれたが、死刑になるか、一生見知らぬおじいさんの嫁としてSEXするかどちらかなら、私だったらすぐに死刑を選びたい。(選べないのです。選択権などないのです。)鍵のかかった塀の中で一生暮らさないといけない嫁たちは、逃げることを考えたり、全員で協力しておじいさんをどうにかするとか考えなかったのだろうか。(そんな考えも出ないほど、家父長制の男の権力は強力で、女性たちはただ従うだけなのです。)相手は男性だが1人の老人なわけだし、女性たちが協力すればどうにかできるのではないかと思った。(そうした女性は女性としての裏切り者で、協力などできません。(日本でも状況は違うが、同じようなことは起こっています。))
裁判にかけられる人の目撃者が誰もいなくても、神が見ているとして殺されてしまうのは、宗教を信仰しすぎることの悪い部分だなあと感じた。イスラム原理主義のタリバン支配を、「宗教支配」と見なしてしまうのは、宗教音痴の日本人がよくしてしまうことですね。
アフガンは、この映画の時代以降、2001年の9.11の報復としてのアメリカの無差別の爆撃で、もっと悲劇的な出来事が展開されるのです。