B3W41087 苗木
この映画の中で最初に一緒に難民キャンプに向かっていた子供たちの中でチーフという役割を決めていたが、日本ではその感覚がないのではないかと思ったし、そうでうね、ある少人数グループのリーダーなのですが、日本にも20世紀までは「班長」という概念があったのですが、今は廃れてしまったようですね。この人がチーフだからという感覚がよくわからなかった。こうした社会関係が一つひとつ亡くなってした後の世代が皆さんなのでしょうね。
テオがマメールをかばって自分が立ったのは、兵士には黒人は似ているように見えてさっきの人か判断できないと思えたからだったのかとも考えた。はい。また、攻撃されるまで住んでいた場所で、連絡手段もないのにどうやって「何かあったときにはこの国に向かえ」などの情報がはいってくるのか疑問に思った。長い「内戦」状態の中で、人生が始まった子供たちには、人生の初期から危機管理の情報は、伝えられてきたのでしょう。
アメリカに移住した後は、電話もわからないところで生まれ育った人と、アメリカで不自由なく生活してきた人とは、お互いの価値観や文化が理解できないのは当然だと思ったが、そこに対しての支援はなかったことや、「支援」観が日本とは違って、なんでもやってあげる、面倒をみてあげるのが支援だと勘違いしている日本人には、「自立」を前提とした支援のあり方を考えておかないと、なんでも面倒をみる支援をやるか、反対に支援などなにもしないときめつけてしまう多くの人かに分かれて、「支援」後進国になっている日本の実情が伺えますね。
仕事を紹介する職業についている人さえ相手のことを心配する気持ちは大きくなく、自分の仕事だからと淡々とこなすだけだということに驚いた。まずは、自分の日常生活をするのか、基本です。たとえば「ホームステーイ」のホストも同様ですよね。
グッド・ライというタイトルで、嘘に対する考え方が日本とは宗教的な考え方の違いがあると知ったが、例え宗教的な違いだとしても裁判のときに証言が証拠になるというのは、自分や身近な人が逮捕されたときに人の証言で有罪が確定するようなことがあればそれは受け入れられないし理解できないなあと思った。やはり、証言を「証拠」としては認めないメンタリティをもっているではないですか。
タイトルに「グッド・ライ~いちばん優しい嘘~」とついているのは、最後にマメールがテオと交換した嘘のことではないかと思った。はい、ではその「嘘」について、そう価値判断するかが議論すべきテーマなのです。