スーダンでは1983年に南北で第二次内戦が勃発した。この映画ではその内戦時にスーダンから逃れ、2000年にアメリカとスーダンの協力によって難民としてアメリカに渡った「ロスト・ボーイズ」のアメリカでの生活が描かれている。(スーダン内の避難民(子供たち)のロードムービーでもあります。)難民受け入れの「第3国定住制度」を知ってください。日本にもありますが、日本では、年間、数千人の申請者に数人、十数人の認定という数字です。
この映画は実際のロスト・ボーイズや彼らと関わった人から話を聞き、その体験を元にして作られている。最近では、シリアからヨーロッパなどへ向かう難民のニュースや、彼らが逃れてきたシリアの状況についてのニュースもあった。しかしそうしたニュースでは、「難民」と「シリアの状況」が切り離されて、彼らがどうして難民になってしまったのかgood questionということは伝えられていないように感じる。その点ではこの映画は、内戦が勃発し、そこから難民キャンプまで歩き続け、十数年の難民キャンプ生活の後、ラッキーにもアメリカに渡ってアメリカでの生活を始める様子が描かれていて、当然だが彼らは元から難民ではなかったということがわかった。私は「難民」と聞くと、すぐに「内戦などで生活を奪われた人たち」というイメージが浮かぶ。そして、難民が難民になる前のことや、難民ではない状態とはどういうものかgood questionということについて、あまり考えたことがなかった。そのため、「難民」は自分にとって遠い存在だと思っていた。しかし難民の多くは民間人であり、逃げざるを得ない状況に陥っているだけで、逃げたくて逃げている訳ではないということを改めて理解した。はい。難民になる前の通常人の生活を想像できるようになりましょう。難民に無関心であるのは、関心を持つ前の段階での人間観(一カテゴリーで、その人を認識的に処理してしまうこと。複カテゴリーの人間として見なさないのです。)に起因しているのでしょう。
また、映画の中で難民に関わる人が必ずしも難民という状況を理解している訳ではなく、また難民たちに職業を紹介する人たちも、自分たちの仕事だからそうしているわけで、「難民のため」にしているわけではないということにも気づいた。はい、良い気づきです。彼らと関わる人たちは、優しい人ばかりでは全くなく、難民を支援対象として「特別扱い」している人はそれほどいない。難民の人間は、難民カテゴリーの人ではなく、複カテゴリーとして存在している「普通」の人なのです。周りの人々は、その複カテゴリーの人に対応しなけれなならないのです。「移民の国」にとってそれは珍しくないということなのだろうが、日本には難民を「特別扱い」しなければいけないという考えがあるのではないだろうか。(「難民」としてしか扱わないのです。)難民のような困っている人たちを助けるのは優しい人たちであるという認識があり、また難民を単に困っている人程度でしか認識していないため、難民の現状が他人事になってしまう。(はい、その背後には、日本人は、自分が複カテゴリーで扱われること自体を経験していないことがあるのでしょう。)それと同時に、日本ではワーク&ライフバランスが重要視されているとは言えず、他者を心配する余裕がないほど自分が苦しくなってしまっている。はい、長時間労働社会日本の現象です。内戦などで難民として国を逃れる人も多くいるなか、日本には「逃げない難民」(逃げることができない国内難民層)がいると言えるのではないだろうか。
タイトルの意味に込めた映画制作者たちの思いについて何かコメントありませんか?