小さき声のカノン
B3W41102
この作品は震災と闘うママたちのお話である。私はこの震災の話を見て考えたのは、高橋源一郎著の「僕らの民主主義なんだぜ」のP.10~より、震災後の状況下において『「敗戦」や「空襲」、「焼け跡」という言葉が蘇った』という言葉である。この映画は、様々なママたちの行動を記録していた。その中には、震災の影響で汚染された地域から「疎開」する人たちや、どうにか戦火を免れるように、土砂を除けていく作業をする人たちがいた。また、その著者はこういった状況を「戦争」に例えて、「終戦後の復興」ではなく、「戦時中」だと言及した。終戦後であれば、復興を目指すのみだという。しかし、まだ「戦争」は終わっていないからここまで「震災後の復興」が進んでいないのだという。確かに、地震による津波のみではなくその二次災害―原子力発電所の爆発の影響が根強く残っている。それは何らかの方法をとらなければ今後影響を持ち続けるだろうし、かといってそれ(それとは何?)を担当する(?)のは福島県民であるとする政府もいる(?)。
私はかつて、原子力発電所のそれ(それって何?)自体に賛成だった。火力発電所が発電のなかでは主力であるが、それは地球温暖化を促進する二酸化炭素をたくさん吐き出す。ならば、小さな粒一つで一件分の数か月分の電力を養える(?)ということで、その原子力を使わない手はないのではないかと考えていた。実際小学生の時代から、東海村にある「東海原子力博物館」で原子力について学んでいた。その時にも、原子力が様々な悪影響を与えることを我々に伝えていたが、それらがまさか「人体に影響を与える形」で「死」に至らしめるものだということは教えてくれなかった。正直、故郷の東海村が栄えているのは原子力を持っているから、国からお金をもらっているだと思っていたが、そうではなくて国から負の遺産を持たされているから迷惑料として資金援助されていることというその事実を考えなかった。今は村長が変わっているが、数年前の震災をきっかけに、原子力発電所を金輪際止めることを決定したのは東海村の村長自身だった。それらを踏まえて、私には想像力が足りなかったと後悔している。(国策のイデオロギーを子供に洗脳し、その子供の一人に成った自分がどのように形成されたのかを問うことは、今後の自分の人生を決定する出来事なのでしょう。)ともすればかつての臨界事故と震災で死んでいたかもしれない。はい。これらのことから今回学んだのは、何も考えないで、何もしないというのは、死んでいるも同然だということだ。(日本人の大半は「死んでいる」のです。その事実を自覚せず。)今回被災地でどうにか変えようと動いている人たちは「生きよう」としていた。(そこに「男」たちが存在していないのが日本です。)その地で「何もしない」で言われるままに身を委ねて、自分から行動を起こせないのは「死んでいる」ことと何ら変わらない。(それが日本の「男」たちなのです。)それは被災地でなくても変わらない。どんな形であれ、自分で主体的に生きている人は「生」を全うしていると思う。対して、流されるままに生きている人は、会社であればただの道具だし、学校であれば「学び」には相当しないだろう。「生きていくこと」を再び考えるきっかけとなった。はい、国際学部の学生はどのくらい「生きている」のでしょか。単位とり、就活に死に物狂いになっている学生は、多いが、死にながら「活動」しているのでしょうね。