「ツレがうつになりまして」
B3W41102 蛭田一樹
働くことについて考えることができた映画だった。ワーク&ライフバランスの重要性を理解していないと、やはり、働くだけの歯車になってしまう。労働者も使用者も人間であることを考えて働かないと、いつの間にか何のために働いているのか、何のために生きているのかわからなくなってしまう。(そうだが、「重要性」「人間」と抽象的なレベルの考えだけでは、数年後、働くだけの人に居直るしかできなくなるのが見えます。)映画にて、主人公の兄の発言はとても聞くに堪えがたいものだった。「男なら家にいる妻たちのために一生懸命頑張って働かないとな!(キリッ)」。その人はきっとこれからもその様に生き続けるのだろうなと思う。どんなにつらくても家のために働き続け、体を壊しても、会社に行くのは何よりも大事で、果ては部下にまでも、「そんなんじゃ働く人間として失格だ。」という理論をぶつけ、部下たちをこき使ってゆくのだろう。(その人は出世するのですか?そっちの方が恐ろしい。)私自身教師として働くのか、企業で働くのか、まだ決まっていないが、どちらにせよ、働き方を考えていかないと、仕事が見つからず、「男として云々」のまえに、フリーターという、自分の将来設計に影響が出てしまう身分になってしまう。この発想だと、「働く人」だけになるパターンですね。
「生活と仕事のバランスがとれている」状態とは何かを決めないと、やはりぶれてしまう。自分の判断をある程度確立しないとそのバランスのとりようがない。(抽象論で考えている限り、日本の働らき方を実行するだけでしょう。)働いて、生活を営むということは、正直想像ができない。週に5日間朝から晩まで働いて、土日に休むという程度の想像である。(それに倣うだけでしょう)これが、ヨーロッパのほうでは朝から夕方までで、時には午後からで、5日間働いていない場合もある。モンサントは「一銭の儲けも逃すな」という経営方針をしていたが、日本もそれに似ているように感じる。たくさん儲けるために社員をたくさん起動させて、社員もそれに応えなくては生きていけないからしっかり働く。では私の守りたい「生活」とは何なのか。一緒に暮らす人との生活であったり、趣味の時間であったり、お出かけをしたり、子どもがいるならばその遊ぶ時間である。日本の雇用の多くはこれらを多く規制しているように思う。趣味を守れなくて、その抑圧感と会社への奉仕で、命を削っている人たちがいる。以前、6時くらいに横浜線に乗った時のことだが、ブラック企業に努めているのだろうか、みな顔を土気色に染めていた。出勤時の風景であるはずなのだが、生気を感じない様子だった。まさに働き詰めなのだなと感じた。また、子どもと対話ができない親もたくさんいる。子どもが起きる前に出発し、子どもが寝てから帰る。気づいたら子どもには何か遠い存在になってしまっていて、ついにはその家族はホテル型の家族(それぞれがそれぞれの生活をしている状態)と変貌してしまい、子どもは塾に預けられ、母は家事をこなすのみとなり、父は言わずもがなである。そのような家庭の家庭らしからぬ状態を産んでしまう。なので、私は「生活」を守ってゆきたい。「生活」を抽象的に考えている限り、家族のイメージが、役割分業家族でしかなく、それを自己達成しているのが実際なのでしょう。