「モンサントの不自然な食べ物」
B3W41102 蛭田一樹
人の口に入るものを作るということは、作物を育てる過程で使うものはすべてその口から体の中に吸収されるものを作っていると言ってもよい。今回のお話はモンサントの農薬、それと遺伝子組み換え作物である。農薬は言わずもがな、人の作った薬によって畑の生態系を直接的に変えるわけだから畑への悪影響の面は0になることはない。人の手が畑に介入する場合(合鴨による害虫駆除など)もあるが、それらは人体における手の延長であり、足の延長である。「畑」自体が「人工物」であり、自然生態系への介入であるという事実は、どうですか?
現在では虫が付かないように、農薬を使わないで済む育て方がどんどん開発されている。例えば、室内で虫が付かないように、人工の光で育てる野菜がある。人工光型水耕栽培の植物。作物の「育ち方」を私は知らないから、どういう経緯で人の食べられるものになっているかがわからない。ただ、室内で育った作物と太陽光で育った作物では直感的に、後者のほうがおいしそうな気がしてしまうのである。(気がするだけで、立論するのですか?)(美味しさも人工物なのです。マックも美味しく感じられるように作られているのです。)なので、もしも市場に出回る野菜がすべてそういう室内で作られたものになるのであれば、断固反対だし、本当に体にいいのか、という議論も巻き起こると思う。(いや、体にいい点ではなく、食べ物がある点が重要となる状況が作られれば、議論以前の自明の理となります。)私は旧体制から新体制へと変わるとき、自らに利点があるとわかっている状態であればやすやすと受け入れるが、自らに何もかかわりがない時はそのままであることを強く願う。そこから考えられる結論は、「旧体制は正しいものだと思いこんでしまっている」ということだ。太陽光で作られていても室内の電気で作られていても、それらを知らず拒むのはちょっと違う。(でも太陽光の野菜のほうがおいしそう)知らずに拒んでいるこのような事態はいち早く解決していく必要がある。特に知らないということは、プロパガンダに強くなびいてしまうということだ。(変化は、選択肢として提示されるのでなく、無自覚のうちに既成事実が作られることによって、成立していくのです。)かつて安全保障の話がtwitter上で盛り上がっている時に、どこかの馬の骨の発言(全然的を射ていない内容)によろこんで私の友人の一人が「イイネ」をしている姿がものすごく滑稽であった。私もそうならないとは限らない。何が問題なのか、どう問題なのか、といたことを選ぶ知識が必要だと強く感じた。選ぶチャンスが与えられると前提してますが、そんな前提はないのですよ。