イランが舞台の映画で、夫婦が離婚するまでが描かれていた。彼らの娘が両親のどちらについていくか決めるシーンが最後にあったが、娘にとって負担が大きすぎるのではないかと思った。娘本人の意思が全く尊重されずにどちらの親についていくか決められてしまうのもどうかと思うが、映画のように娘に決定を丸投げしてしまってもいいのかという疑問も残る。両親が離婚する際にも子供に負担が大きくならないような配慮がもっと必要だったのではないかと思う。イスラム教国の家族の現実をまずは理解しましょう。日本でも両親が離婚するときに、子供はどちらかの親に引き取られることが多い。家族にもよるのだろうが、子供に決定を任せるのはやはり負担が大きいだろう。子供が幸せに暮らせるように、どちらかの親についていくという選択肢だけでなく、共同親権という選択肢もあっていいと思う。共同親権にも、父親が子供をレイプしたり、どちらの親のもとにも居場所がなかったりする問題が浮上することもある。しかし、どちらか一方の親しか選べないというのは、今作?のように親にも子供にも負担になる場合がある。辛い選択をしなくてもよくなるように、選択肢を増やすことは必要だと思う。選択肢(離婚後の共同親権、単独親権)は社会制度の問題であることを理解していきましょう。
作中の、流産したときに男たちが示談をしているシーンが印象的だった。日本だと警察が入ってどんな状況だったのか第三者の客観的な視点によって問題を解決に導くのに対して、イランでは示談によって解決されてしまうというのは日本と違うと思った。(いいえ、最初は訴訟、裁判事件でしたよ。裁判案件が「示談」になることは日本でもあります。)あれはイスラム教にのっとって決めていたのだろう。また、ラジエーが介護をしているときに電話をして、自分の行動が宗教的にいけないことではないか確認を取っていたシーンがあったのも面白かった。イランでは宗教が日常生活に深くかかわっていることが分かった。はい、その意味でイスラム教は(日本的)「宗教」ではないのです。