苗木
この映画では、市民を撃ち殺す兵士側と、狙われる市民である男の子の両方に焦点をあてていた。
まず兵士にされた青年は、最初は軍隊に入ることに抵抗がないようだったが、自殺した仲間の死体処理をさせられるときには自分のいる場所のつらさを理解したようだった。だが、戦場に行って死んだ兵士の片づけをする担当になって、戦場の危険さに気が付くべきなのに、その任務よりも戦場を志願した気持ちが理解できなかった。(戦場では、すべてが情報提示されているわけでなく、戦争の危険さも理解できないのであり、また今の任務が、今の時点で嫌だったのであり、戦場を比較して選択したわけではないのです。)戦場に行って初めて人を撃ち、怯えていたのに、その後先輩たちと輪になって話しているときには、そのことを笑って話していた。それは周りに合わせていたのか、本当にそう思って話していたのか疑問に思った。両方でしょう。戦場は、平時の常識が通用しない場所なのです。
9さいの男の子ハジがその年で弟を連れて家から逃げ、面倒見てくれそうな人の家に弟を置いて、1人で逃げることを決心したのは、平和な場所で生きている子供だったらできないことではないだろうか。彼も平和な場所に生きていたのです。そこが突然、戦場になるのです。
ハジが突然キャロルに話したのは、ディスカッションにもあったが、ネックレスを盗んだハジを責めなかったことで、ハジにとってはこの人も自分と同じ考えだから信用できると思ったのだと思う。戦場では、人を信用する力が生死を分けるのであり、それが生命力になるのです。
原題の「The Search」には、戦争で離れてしまった家族を探すという意味以外に、ハジが隠してしまった心と、兵士になった青年の残酷な兵士になる前の心を探すという意味もあると考えた。はい、その考えは素晴らしいので、もっともっと詳しく展開して、書いてください。