苗木
この映画の最初に出てきた、女の人が地面に掘られた穴の中に寝かされていた場面は、お墓に埋められるのかと思ったが、生贄のようなものに選ばれた人の儀式のようなものだと理解した。はい、生前葬です。女性のほうが男性より立場が低いために女性が行くのだろうと思ったが、どのようにその女の人が選ばれるのか疑問に思った。自爆テロを起こすのに、有利な人を選んだのです。女性だからではなく、女性の方が警戒が緩やかになるし、テロを起こさないだろうと思われるので、その点で有利であり、選ばれたのです。
レベッカが戦場の写真を撮りに行くのは、「現実を知ることを世界が必要としている」といっていたが、家族からすれば、家族の幸せより危険を選ぶ意味が理解できないだろうし、彼女ではなく、違う人が行けばいいのにと思うだろう。家族中心の考えだけしかできない人はそう思うでしょうね。
しかし彼女は夫が悩んでいるときに、「どうしたら気が済む?」と言っていたし、自分の経験を娘に誇らしげに話していたことから、彼女は本当には待つ側の気持ちを理解できていないのだろうと感じた。「本当には」をどのレベルで設定できますか?一つではない、という問題提起をしているのです。
娘の立場では、母と一緒にケニアに行ったとき、母が自分を置いて銃撃戦の現場に残ったことは、ショックが大きすぎて、もう母を信じることができなくなるだろう。そうではなく、別の母(母ではないプロカメラマンの姿)を理解したのであり、映画の最後では、娘は「母」だけでなく「カメラウーマン」も理解したのです。
レベッカも、アメリカン・スナイパーに出ていた主人公の兵士のように、自分が戦場での状況を知ってしまった以上、平和に耐えられない部分があるのではないだろうか。PTSDとはそうゆう病気なのです。
結果的に彼女は家族と離れることになり、再び戦場にいったが、そこで同じ状況になって写真が撮れなかったのは、前の犠牲者が自分のせいで死んだとトラウマに感じることもあるだろうが、家族がいなくなったことで、自分がつらい時のよりどころがなくなったためではないだろうか。いや、子供のような家族観は持っていないと思います。苗木は、家族がよりどこなのですか?どんな家族なのでしょう。