被ばくした福島の住人と、チェルノブイリで被ばくしたベラルーシの子供たちを取材した映画だった。福島でもベラルーシでも女性ばかり被ばく問題に対して活動していた。福島では原発問題に関してみな神経質になっていて、監督の話で、内部被ばくしないように食事に配慮する母が子供に弁当をもたせると、クラスメイトや教師に白い目で見られ、疎外されたというエピソードや、被ばくを問題視していても職場で浮かないように自分の考えをひた隠しにする男性がいることを知った。また、福島から非難してきた母子は、国からの支援もなく貧困におちいっていることも分かった。テレビでは放送されないのでチェルノブイリのように甲状腺がんが発症する子供に増えたり、その他障害を抱えた子が生まれたりという問題は起こっていないのだとてっきり思っていたが、政府はこの問題に対処しておらずメディアはまともに報道していないことがよく分かった。テレビを見ていると、福島の人たちがいまだに被災者という立場から抜け出せていないことに苛立ちを感じていたのだが、彼らが国から支援を得られていないことや、福島の人たちが内部被ばくし続けていること、まともに彼らの状況が報道されていないことや、彼らが自分の意見を言えず権力に逆らえない現状などを知ることができた。
長崎大学の教授までもが被災者への支援の手を差し伸べなかったことにもショックを受けた。てっきり大学の教授は権力に逆らい自分の意思をつき通すものだと私は思っていたのだが、権力に従順になり福島も人たちを見捨てたような大人が教授という立場にいることに落胆した。大学教授でさえ自分の意思を貫かず、直接的な被害を受けた福島に住む人たちも国に逆らわないこの状況に危機感を覚えた。確かに日本では子供の時に親や教師に逆らってはいけないと育てられる。そんな考えを持ち続けていても生きづらいはずなのに、どうして逆らわないのだろうか。自分の考えを否定され続け自分以外のところに正解があると洗脳されてしまったからだろうか。その洗脳から解かれる機会はなかったのだろうか。えらい人の言うことを聞いていればいいと自分で考え、対抗することをやめてしまう人が日本にたくさんいるというのは本当に恐ろしい。そのつけは自分たちにまわってくる。自分に不幸が降りかからないようにするためにも、自分の考えを大切にしたい。