椎野ゼミ課題
別離
2015年11月13日
チョウ ロセン
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この映画でイランの中産階級の上流家庭生活の一部を「覗き」見ることができたのかもしれない。はい。イスラーム圏では女性にさまざまな制約があり、社会地位や家庭での地位が低いように思う。しかし、この映画を見た限り、思った(どんなことを思っていたのですか?)以上にひどくないと思う。この物語の主人公のナデルの父がアルツハイマー型認知症を患い、世話をされなければならない。そこで、ナデルは父の世話を妻のシミンだけに押しつく(けるの)ではなく、あるいは妻に仕事をやめさせ、父の世話に専念させするのではもなく、まだ普遍的普通のことではない家政婦のような人を探し、父の世話をしてもらおうとしている。ここが比較的に女性の家庭での地位がそれほど低くない証拠だと思う。もし、これが日本の場合だと、女性に正社員あるいは非正規雇用の仕事をやめさせることが多いではないかと考える。比較する時には、同じ条件の人を比較してください。中産階級以上の人と、以下の人(日本の場合)では、状況が異なります。
前に見た『ペルセポリス』はもイランについての作品であるが、主に、人物(監督さん)の伝記であり、歴史上の大事件しか描かれていない。思想的にラディカルな家庭以外の人である普通の市民の生活にはどういうことなのかはよく分からなかった。今回の物語には、バスが出た、銀行が出た、一般裁判所が登場してきた出たなど。日常のさまざまな場所の現状を知ることができた。その中で、銀行と裁判所のものものしさのなさに驚いた。銀行はともかく、裁判所はまるで20年ぐらい前の中国の病院のように廊下でに人があふれているた。また、審問を待っている容疑者は一人の警察官のような人と手錠でつないでおり、人ごみの廊下でに座っている。不思議に思った。容疑者が逃げたらどうする?あの銀行の防犯のボロあまさ、銀行強盗が怖くないかという疑問が見たときに生じた。はい、イスラム銀行については、無利子(リバー)金融であることなどを理解しましょう。私たちの銀行観をアンラーンしましょう。
宗教を信じない私にとっては、この映画の中に出てきた聖職者???宗教指導者という人のポジション・存在の意味は理解しがたい。ウィキペディアの「ウラマー」という項目では、ウラマーはイスラームにおける知識人であり、大部分は法学者であると説明している。その中にでこれと比較されたのが中国昔の士大夫である。「士大夫」をもっと説明してください。まとめると、イスラームの聖職者??に当てはまるウラマーは社会的地位を持ち、宗教上の義務・禁忌が一般信者と変わらなく、主に法学者のでイスラームに関する知識人である。一般の信者の尊敬と敬意を受けるが、崇拝ではなく、建前では一般信者と同列すである。また、ウラマーの世襲は珍しくないという。この点で、これが日本の寺のお坊さんと連想できる。イスラム教を少しは理解し始めましたか?
参考:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC