椎野ゼミ課題
少女は自転車にのって
2015年10月16日
チョウ ロセン
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私のイスラム教に関する最初の認識は中国の少数民族の回族またウイグル族などの服装である。男性が小さい「帽子」をつけ、女性は綺麗な薄絹のような色鮮やかなもので軽く髪を覆う。自分の身の周りの生活環境では実際に見たことがなかった。女性の服装に関しては、ダンスなどでの公演でのもの演出がすべてだった。最初に中東のことを知った時に、その人たちが中国の回族などの人たちの信じる宗教と同じ宗教だとは思わなかった。中国の新疆ウイグル自治区では、イスラム化へ規制則があり、全身黒ずくめが禁止され、若い男性の濃いひげは禁止されている。これはが後で知ったことである。同じイスラム教という宗教であるが、服装にの大きい差があるのはが中国政府の政策の制約が影響している。今回の映画を見るときに、ますますサウジアラビアのような国では、女性がに「不便」な生活を送っていることを感じた。ただし、今回の映画はドキュメンタリーではなく、芸術的な面もある物語である。これでサウジアラビアのことを判断するのが不十分であり、偏りがちである(映画製作状況の困難さを理解してますか)。しかし、中東が神秘的あるいはそれらの国に対して興味がない東アジアの国や世界のさまざまな地域が多いだろう。中東を「外」に見せる一つのチャンスだと思う。(サウジアラビアで最初の長編映画なのです。)
女性の地位の低さはどうしても古代昔の中国と連想し、比べて見ていた。もし、これが100年前の事情なら、私は逆に女性が重視されていると思うほど、女の子の教育や家のを出はいり自由な環境に感心した。しかし、男尊女卑の「世界観」を持っている古代昔の中国の状況と比べても、イスラム教の女性に対する制約がどうしても理解できない部分がある。それはが髪をスカーフで全部覆うことである。肌を出さない・体のラインを他の男に見せないことは昔の中国と同じような考え方としたら、髪について到底理解できない。髪には何か「やらしい」ポイント(女性の美しいところ、男を魅惑するもの、性的に興奮させるもの)があるのかと思いつつ、今まで疑惑のままである。アラビアの女性たちの実態を見てみましょう。そして、我々近代人が持たされている女性身体観についても認識をアンラーンしましょう。女性の(男性も)恋愛自由・服装自由・教育自由・外出自由は先進国の中でも近代になって少しずつ変わったものである。同じイスラム圏のインドネシアまたマレーシア(などの東南アジアのムスリマ)は自由度が高く、サウジアラビアのような国では、将来少しずつ変えるではないだろうかと思う。楽観的過ぎます。国家が変わるとは、どうゆうことなのかを、中国/日本についても含めて、再考してください。