椎野ゼミ課題
明日の学校に向かって
2015年10月2日
チョウ ロセン
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紹介されたイエプラン教育の方針に、自立学習計画や自己責任(?)制や異年齢学級が今まで伝統的な銀行型や詰め込み式の教育(典型的な近代国民教育です)しか受けたことがないわたしにとっては魅力的に思う。しかし、さまざまな新型の教育方式の考えでは、全ての人が同じような学習方法に適していないわけではない。(「全ての人」という概念がおかしいですね。だれもそんな提唱をしていません。議論は、逆で、今現在、全ての人に同じような学習方法を実行している教育に対して、どうするのかの代替案を提唱しているのです。)魅力的と思うが、自分に適しているかどうかは分からない。さまざまな教育方法が共存しており、選択肢があることが重要だと思う。(現在のオランダはそのような教育制度を実行しております。)映画の最初に出ていた画一斉授業であるが、反面見本の立場になっているような気がする。全部悪いではないと思う。(何のための良い悪いですか?)一国の教育制度のあり方について検討できるようになりましょう。
今回、教育方法というテーマによくふさわしく、面白いBBCのドキュメンタリー番組があった。それが、最近出ていた「Are our kids tough enough?Chinese school」というドキュメンタリー番組である。映画ではなく、ドラマに近いドキュメンタリーであるが、主に、5名の中国人の中学校の教師がイギリスのとある学校に行き、50名のイギリス生徒を中国式の教育方法で教え、1ヶ月後に成績を比較するという内容である。結果は当然中国人教師のクラスの生徒の平均点のほうが高い。ただし、このドキュメンタリーに1ヶ月の内容がたったの3回のトータル3時間の放送では、教育方法の全貌は見えないところもある。また、担当教師の5人はが全員英語で授業をすること(に)は、中国では普(遍的)通のことではなく、代表(に)とするのには(局)限り(性)がある。しかし、判断基準となる「結果」は、成績で現すという点では、イギリスと中国は違いはない。そ(れが勝利)の結果は「中国の伝統」的な教育方法の勝利である。点数の「成績」を教育目標とすること自体が、問われていることがイエナプラン教育の問題提起であり、この教育目標を前提とした議論の有効性を、検討できるようになりましょう。
もう一つ例がある。去年読んでいた文章の作者がアメリカで大学院を卒業し、アメリカの小学生の家庭教師を経験した人である。その作者によると、アメリカの小学校の数学などの学科の教育質が低いという(はい、それは有名な事実です。)。しかし、作者が否定していないのは高校から大学での勉強である。いわば、個性が尊重され、天才型の人であれば、もっと天才になれるという点である。(アメリカの高等教育は定評があります。)しかし、基礎教育段階での甘さが多く、天才ではない子供の学習レベル(を)に悪く影響する危険が大きい。作者が教えた何人の子供が家庭教師という「塾」の勉強時間の増加により、またさまざまな方法を試してから苦手な科目がわかるようになっており、成績も上がった。それが詰め込み教育(これは詰め込み教育の例ではなく、「家庭教師」の事例であり、詰め込み教育の擁護の議論になっていません。)のいいところだと思う。全員の最低限を上げられることである。全員に「家庭教師」を付けられるのですか?
以上のことにより、どれの方法が正しいかどうか決めるではなく、一人一人に適している方法を見つけること、またその選択肢があることがもっと大事であると思う。はい、それがオランダの教育で実行されていることであり、その点で、オランダ教育をもう一度、観て、コメントしてください。