椎野ゼミ課題
パレード
2015年9月25日
チョウ ロセン
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最初にこの映画を見るたときに、完全にエンターテーメント映画として、何の話かについてはっきりさせようとし、物語の内容に集中しすぎた。通り魔事件の犯人が浮上するまでは、物語自体がさっぱり分からない。(非現実的な物語なのです。)この映画はドキュメンタリーと違い、作った話(フィクション)を役者が演じたものである。表現の仕方、しぐさ、撮影方法など、全部芸術のためにもなれるため、作品から社会性の何かを引っ張ることが難しいと思う。(逆に、社会性のなさについての表現なのかもしれません)ディスカッションで、この物語の登場人物の人間関係の薄さや、リードする・リードされる関係や、多重人格などについて話した。もし、結末が出る前のところはただの「人物紹介」のような物語とすれば、最後のシーンでは、人物たちの関係が一瞬覆しった(くつがえった)ような感じがする。(何から何に覆ったのかを描写してください。)最初に仲がいい4人と感じたが、圧迫的な一言で主従関係(力関係)が見えるようになった。もっと具体的に描写してください。
多重人格はフィクション作品にしか見たことがないため、今回、これについて調べた。この病気について、ウィキペディアでの記載が思った以上に詳しい。多重人格の正式名称は解離性同一性障害という少々難しい言葉である。この障害を患った原因の一番多くは精神的ストレスからのようである。実際存在している精神性病気の一つである。病気自体に関する研究や、治療に関する研究が思ったように多くある。アメリカの「ビリー・ミリガン」事件で、有名になりました。社会学的には、イアン・ハッキング『記憶を書きかえる』1998、早川書房の、分析が興味深いです。
この精神性病気の患者の犯罪は中国では健全人より量刑が緩くなる。(世界では、病気では犯罪を罰することはできないとなっています。まずは治療の対象なのです。)しかし、精神性病気の確定が比較的難しいイメージがあり、法律の裁きを免れる逃すための手段として利用されることもある。(どこでもあります。)そこにも関心を持ってニュースなどを見ている。中国の事件でたまにこのような方法で裁きを逃す免れる疑似?例があるため、なかなか分かりにくいこともある。精神病と人格と行為責任の関わりをどう捉えるかの問題です。
参考: