椎野ゼミ課題
しわ
2015年8月21日
チョウ ロセン
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今回の「映画のテーマ」認知症について、まず定義をもう一回調べてみた。認知症について、以下のような定義がある。『かつては痴呆症といわれていた、認知症とは、いろいろな原因で脳の細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったりしたためにさまざまな障害が起こり、生活するうえで支障が出ている状態のことを指します。』という「ものである」。この定義によると、年を取るにつれ、脳細胞が死ぬとは限らなく、若いうちに認知症にかかるリスクもあるという。イメージとしては、高齢者の人がかかる病気であるが、実際のデータも調べてみた。『65歳以上の高齢者のうち認知症を発症している人は推計15%で、2012年時点で約462万人に上ることが厚生労働省研究班の調査で明らかになっています。』総務省の統計によると、『65歳以上の高齢者(以下「高齢者」といいます。)人口は3186万人(平成25年9月15日現在推計)で、総人口に占める割合は25.0%となり、人口、割合共に過去最高となりました。』という。「この高齢社会の現状の指摘と、前の文の関連はなんですか?」
テレビ番組で40代のアルツハイマー型認知症患者についての仕事ぶりを見た。優秀だったセールスマンの彼はひどい認知症にかかり「ったが」、新しい就職先での仕事は順調であり、判断力にも影響がない。ただし、毎日の流れをノートで確認し「てから」、「仕事を」始める。一日のやること、やったことを全部細かくノートに書かなければならない「のだ」。「この番組を」見た後の「私」個人の感想は、記憶喪失のようなひどい物忘れを連想するということになる。彼を受け入れた会社があることが幸いだと思う。しかし、すでに定年したお年寄りの場合は家庭や社会福祉に試練「?課題?」を与えている。「介護の」家族「の人」でも、施設のスタッフ「の人」でも、認知症患者との付き合いは一緒にいる「共通の」思い出の上に成り立つものだと思う。相手の名前と自分との関係が「を」覚えていても、共有したはずの思い出が「は」ほぼ覚えていない。ゲームの中でのようにリセット「のように」し、毎日一からやり直すのが家族「や施設の人」にとっては大きな精神負担だろう。中国ではまだ、家のお年寄りを施設に入れさせる習慣がない。お金の面もあるし、施設の不完備もあるし、一番大きな理由は親不孝に周囲に言われるからである。「日本と同様に、中国でも「高齢社会」の福祉政策をどうするのか、待った無しの課題であるが、まだ対策が取られていないので、家族崩壊もふくめた社会問題になっていくのが目に見えています。」しかし、認知症も病気の一種であり、専門知識がない普通の人だったら、学ぶか、あるいは専門家に頼んだほうが、本人にとって一番いい対応だと思う。「専門家だのみだけの対策では、福祉政策として不十分であり、予算・専門家の人材養成など福祉制度の整備がないまま、家族崩壊の社会が目前まできているのです。」
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