チェルノブイリハート
B3W41102 蛭田一樹
この映画はとても残酷さを感じる、感じさせる映画だった。しかし、眉唾物といわれる部分も多くて、つくりものだろうと言われてもいる作品であった(映画はすべてつくりものなのです)。ただ、私は恐怖感を与えることがこの目的なのだから、だからこそ脚色という形で物語を作りだしているのだろう。恐怖を感じた我々がどうするかということが大切なのではないだろうか「はい、再認識のきっかけとなる映画ですね。しかし多くの人は、再認識することはありません。そこが問題なのです。」。今原子力発電所の問題が、3.11を境に問題になっている。福島県が最たる例であるが、原子力発電所が地震によって均衡を?崩してしまい(???)、放射能が漏れ出してしまった。人々は放射能を恐れ、反対運動などをするようになったが、いかんせんわかっていないと私は考えている。まず放射能はどこにでもあること(原発賛成派の言説をすぐに受け入れますね)。そして原子力発電所を廃止できないほどに電気を必要とした社会になってしまったこと(原発賛成派の言説をすぐに受け入れますね)。それを気づかずに反対デモの後は空調設備の電源を入れたり、電気を使わないためのデモを行っているのに電源を入れたりしてしまうようでは、きっとこの先原子力分の発電量が使えなくなって電気を使用することができなくなってしまった場合におそらく「もっと電気を使わせろ」というデモを起こしそうである(原発賛成派の言説をすぐに受け入れますね)。昨今はこのような、問題の核が何なのかをないがしろにした主張が多すぎる(原発賛成派の言説をすぐに受け入れますね)。これでは日本人が「議論ができるようになった」のではなく、「みんなにあわせて主張をしている」だけになってしまっている(原発賛成派の言説をすぐに受け入れますね)。チェルノブイリハートは身体的な外傷を指しているのではない。この原子力の引き起こすものが未来にどのような影響を与えてしまうのかわかっていますかという内容なのである。「はい、ですからあなたは原子力の未来をどう考え直しますかが問われているのです」残るのは半減期を待つ放射能物質だけではなく、放射能によって死んでしまった親を持つ悲しみ、怒り、空虚感である(?自分が死ぬのですよ)。原子力発電所から漏れ出した放射能物質は現在ではなく未来を確かに奪っていくのである。未来を作りだすことだけを考えるのではなく、どのようにその未来を守るかも考えなくてはいけないのである。そしてこういう映画を見た後に「嘘じゃん」と言って、なかったことをするような大人にもなりたくはない。「未来を守る」ために何を考えなくてはいけないと考えたのかも書いてください。