(瀬島)
私にとって初めての映画上映会だった。思っていたよりも人がたくさん来てくれたことがうれしかった。しかし、それでも人数は多くなく、用意していたパンフレットは余ってしまい、大教室から狭い教室に移動になった。次回は今回よりも多くの人が上映会に参加してほしい。もっと多くの観客を動員するために、もっと前から準備し宣伝できる期間を長くするなど宣伝方法を工夫したい。はい、具体的に実行を始めてください。
影山さんの説明の中で、海兵隊は自我を殺す訓練を受けるというのがあった。指令に疑問を持たないようにする狙いだそうだ。映像に、機動隊や警察官が市民の声に耳を傾けようとせずデモ隊を退避させようとするシーンがあったが、海兵隊だけでなく警察官や機動隊の人もそのような訓練を受けているような印象を受けた。(海兵隊は敵の殺人のための訓練で、人殺しを製造する装置です。警官は、「秩序」を維持するための装置で、人殺しの目的のための訓練はしていません。)警察や海兵隊は自分で考えないような人間だが、映像ではデモに参加する人たちは必死に意思を伝えようとしていた。デモとは、デモンストレーション=demonstarationで、示威(じい)運動であり、主張だけでなく、団結の威力を誇示するものなのです。どんなにデモ隊が主張しても、映像を見る限り、自分自身で考えない人を説得するのは不可能なのではないかと感じた。説得の相手は、目の前にいる警官なのではなく、その背後にいる意思決定者なのです。
また、市民はデモを辺野古周辺で行っていたが、デモをするにはもっと人の集まるところでした方がいいのではないかと思ってしまった。辺野古基地ができることを反対している人は主に沖縄の人で、デモ活動を地元でするのは当然なのだが、沖縄でももっと人のある所とか、東京などで呼びかけた方が良いような気がする。多くの人に問題を知らしめ、考えてもらうことがデモの目的なのだと思うのだが、どんなに辺野古でデモをやっていてもその主張を広めることはできないのではないか。「ヤマトンチュー」=中心の発想ですね。中心の無関心を前提に、周辺の人を中心にもってくるという発想が。デモ活動の映像を映画にして本土の人がみるというのは、その意見を広めることに一役買っているのだろうが、もっと人がたくさんいるところでデモをした方が効率がいいのではないかと思う。デモは、「効率」の為にやっているのではないのです。これも「中心」本意の発想ですね。