(瀬島)
アニメを作っているのは、アメリカと日本くらいだと思っていた。自分の視野の狭さに気が付けた。(はい、ヨーロッパ(フランス、ドイツ、スペイン、オランダ、テェコなど)でも制作されています。)日本のアニメ業界はブラック企業ばかりだが、他の国ではどうなっているのか気になった。東南アジア(中国、韓国、台湾、ベトナムなど)の諸国でのアニメ制作は日本のアニメ制作の下請け構造があって、低賃金となっています。)
ミゲルのような高齢者が主役のアニメは日本には少ないような気がする。探せばあるのかもしれないが、日本のアニメの主人公は若者が多い。悪い大人を子供が打倒する話ばかりで、まともな大人が描かれることは少ないように感じる。アニメ自体がもともと子供向けだったのもあるだろうが、成熟した大人がもっと登場してもいいように思う。はい、そうですね。また、今回の作品のような社会問題をわかりやすくアニメで扱うというのは日本にはあまりないように感じる。はい、そうですね。それが日本のアニメの質の問題に関わっています。要は、クールジャパンのアニメは、子供だましのものが多く、大人相手ではありません。もっとも日本には「大人」もいませんが。
ミゲルは一人一人に寄り添ってあげることのできる稀有な人材だった。人の立場に立って考えたり意見したりするのは難しい。国際学部生はマイノリティーの立場に立って考えることができることが重要だ。人の気持ちに寄り添い、相手の立場で考えられる人になりたい。はい、日々学んでください。ただし、自分をいつもマジョリティの立場に置いておくのも、傲慢ですが。
作品の最後に、犬を連れていた老人がエレベーターに乗ったシーンで、犬を忘れて乗り込んでしまいあわててボタンを押したシーンがあった。あの老人はミゲルだったのだろうか。NO.ミゲルではありません。ミゲルだったとしたら、ちゃんとしているように見えていた人でも年を取って呆けることがある、ということを意味していたのだと思った。ミゲルでなく、犬を飼っていた老人の街での生活の姿の描写だったと思います。
いままで、老いについて考えたことはなかった。日本では、いろいろなことを「考えさせない」仕組みができています。親や親類がなくなった時、自分はどう動けばいいかなどは考えたことはあったが、自分がどう年を取って死ぬか、というのをいままで考えたことがなかった。(「死ぬか」の前に、どう「生きるか」を考えさせませんね。)終活なんて言葉が一時期はやっていたが(現役です。)、他人ごとのように思っていた。(はい、何事も他人事にするのが日本です。)平均寿命程度生きられるとすればまだまだ自分には関係ないことかな、とは思うが、誰だって寿命は来るしいつかは考えなくてはいけない問題だ。(いつかは、決して来ません。考え始めるのは「今」です。)今目の前にある問題しか見えず、将来のことに意識が向かな過ぎるのは危険だ。いままでも十分時間があり、対応策を考える余裕はあったはずなのに今になって高齢者の介護問題が浮上するのは、自分たちの未来について考えずに避けてきたのが理由だろう。(何事もこの調子の日本です。)気づけば、すべての問題がこうなっていますね。)自分が年を取って死ぬ時には、せめて若い人たちには迷惑がかからないようにしたい。(楽観的ですね、皆さんが年をとる前に、前の世代が積み残していった問題の山が、迷惑が、軒並みみなさんの双肩にのしかかってくるのですよ。)また、親に介護が必要になる前に、家族で介護のことについて話し合う必要があると感じた。介護を「家族」の問題にしているのも日本現象で、これが上記の問題の一つですね。(これでは双方がつぶれていきます。)