(苗木)
私はこれまで、チェルノブイリ原子力発電所の事故について、チェルノブイリで事故があったことはなんとなく知っていたが、それがどこにあって、どのくらいの事故だったのか詳しく知らなかった。はい、無知の知。
正直、この映画では手術のシーンや、痛々しい病気の子供たちが出てきて、私には目をそらしたくなるものだった。「目をそらす」とは、どうゆうことかを考えてみてください。
障害があり、親のいない子供たちを預かり、育てているお金はどこから出ているのだろうと思った。社会における「お金」とは何かを理解してください。国家予算のお金ってなんだか分かりますか?
また、自分の子供が障害をもって生まれてきたからといって、あっさり捨てる親の気持ちに悲しみなどはないのだろうかと思った。「悲しみ」の感情だけの問題ですか?
現在は日本でも、出生前診断でダウン症の可能性があると診断されると、中絶する人が多いと聞いた。私自身も、この映画の中で、障害を持っている子供で、その子の脳がどの程度機能しているかもわからず、将来どのくらい生きられるかもわからない子たちを見ていて、その子たちは生きていたいのか、育てている意味にも疑問を持ってしまった。これが、当たり前のようにしてますが、恐ろしい発想であることに気づいていますか?自分がそう考えたことが残酷なように思えて嫌だなと感じた。なぜ、「残酷」なことを平気で考えられてしますのか、について、「嫌だな」と感じるだけでなく、考えてみませんか?
時間の都合でこの映画の議論には参加できなかったので、他の人はこの映画を見て何を考えたのか気になった。ゼミは、「議論」も含めてゼミなのですが、あなた自身のために、重要な「意見交換」の時間(これが「教育の場」なのですが)を、自主的にパスしないようにしてみませんか?