Salmon fishing in the Yemenを見て
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蛭田一樹
「砂漠で鮭を釣るなんてありえない!」そういう言葉から始まったドタバタ恋愛コメディであるが、この映画は言葉を持つ人全員がイギリス人とも思える作品だ。はい。イエメンのダム建設案反対の人たちをイエメンの富豪に「あいつらはバカだ」といわせたり、その富豪がイギリス人に対してやけに肯定的だったりという点だ。制作はイギリスなので、おそらくイギリス固有の見方や都合がいいように作っているに違いない。加えて、大富豪は鮭の住む川を自分の満足のためだけではないといっていた。しかし、それもイギリス的な見方だ。かつて植民地支配をしたときにも同じようなことを言っていたと思う。「これは俺たちが侵略した事実に間違いはないが、これによって彼らはより高度な生活を営むことができる」と。宗主国側は、自分たちの欲望から生まれた利益のついでに、申し分程度に発生する小さい利益といえるかどうかもわからないものを相手に押し付けるのだけは得意だと思う。はい、植民地支配の人的構造については理解していますね。もしこの映画がもっとイエメン人の言葉が多く、それも反対・賛成両者の意見であれば大富豪はまさしく「イエメン人」として登場し、「自分の楽しみのためだけではない。」という言葉が厚みを持って我々に迫ってくるのであるが・・・。そうならないのが、植民地構造なのです。だがこれに関しては自分も反省をする必要がある。なにより日本が隣国を植民地支配していた時代を忘れていたからである。皇民化していたのは紛れもない事実で、他国の人間を「日本人」に育てていたのである。日本人としては同じ国の人間が増えることに喜びを感じるのかもしれないが、彼らにとってはただただ文化が壊されただけである(文化だけでなく、政治・経済・生活・アイデンティティすべてが破壊されるのです)。時にそれが正しいと言われてしまう時代もあるわけだから生きている間は常に自分の世界が正しいのか、誰かに騙されてはいやしないか、隠された事実を認識しているかどうか、見据えられる目を持たなくてはいけない。(どうやって持つかを考えないと、かけ声で終わってしまいますね。)
これは私的な感情ではあるのだが、女性Aと男性Bが付き合っていて、Bが遠距離恋愛になって、Aが職場ないし出先でCという男性に心を引かれてしまうという展開は好きではない。結局遠距離では恋なんてできないというイメージを作り上げてしまうし、なによりいつも一緒にいる人間としか思いは通じ合わないと考えてしまうからだ。前世が防人で、九州から帰ってきたら女房が寝取られていたみたいなことがあるかはわからないが、やはり映画によくある「不安感をあおられている」のではなくて「嫌な感じ」を煽られる。やはりあまり好まない。
日本社会では、「遠距離恋愛」肯定派が多くいます。それの理由を考察すると日本社会のことが見えてきますね。「遠距離」に限らず、「距離」のあるカップル(夫婦も含む)を、肯定するのはなぜなのでしょうかを考えましょう。
好き嫌いで論じるのではなく、なぜそうなのかを説明する文章を書いてください。「恋愛」って何かを考えてください。