(瀬島)
作品内で、あたりまえのように女性はセクハラ的な暴言を浴びせられていることにショックをうけた。Sexual harassmentという概念が登場したのは、欧米では80年代、日本では90年代です。この映画は1943年を時代背景にしており、性差別の20世紀の歴史を理解しましょう。性差別は、自然に時間が解決したのではなく、反対運動の結果なのです。日本では、したがって性差別は解消していません。
美人でないとメンバーに入れさせたがらない、選手にミニスカートのユニフォームを着せて野球をさせるなど、当時の男性(当時だけでなく、21世紀においても、たとえばアメリカには「ランジェリーフットボール」があることをご存知ですか?)は選手たちを性的な目線でしかみていなかったことが描かれていた。(現代でもそうです)セクハラという言葉が浸透するまで、あたりまえに女性が立場の高い男性から性的な嫌がらせを受けていたと考えると、よく女性たちは我慢したなと思う。私はいままでここまであからさまにセクハラをする男性に会ったことがない。(これからでしょう。)しかし、女は女らしくいろ、という圧力はいまでもあると考えている。女性誌では愛される女子特集が組まれ、モテる女になるためのノウハウが押し付けられる。気が使え、おしとやかで、容姿のいい女性がいい女といわれ、男性目線のいい女像から外れた女はブスと呼ばれる。男性社会である日本(ジェンダー後進国日本です)で男からの評価を得るために、女性は男にとって都合のいい女になる。そして、男性社会のなかで上手くふるまう方法を身に着けた女性も(女性の分断です、支配の常道です。)、周りの女性に女らしくふるまうことを強要する。(あなたは、どちらですか?)
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ネットでよくみかける、男性が思う女性の女らしさに、細やかな心配りとあった。これは女性でなくても必要なスキルである。(はたして、人間にとって必要なのだろうか?)
女性だけが必要な能力ではない。男性だからといって、気配りができなくていいわけがない。男性だからといって常に気を配られている立場にいるようでは人間関係が成り立たない。(心配りと気配りは、同じことですか?)また、言葉使いの悪い女性は男性からみて魅力がないとあった。言葉使いが悪い人は男性でも女性でも魅力はないと思うし、相手を傷つけない言葉選びをしなくてはいけないのは人として当たり前だと思う。女性がこのようなスキルをもっていてほしいと思い女性に強いるまえに、人間誰でも必要な能力であることを自覚し、男性自身もそのようなスキルを身に着けてほしいと思う。ネットでの言説をもって、男性一般の議論をするのは、論として安易ですね。
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