椎野ゼミ課題
砂漠でサーモン・フィシング
2015年5月15日
チョウ ロセン
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まず、岡部さんのこの映画を選んだ理由の中の一つから話したいと思う。映画のタイトルの翻訳から、日本にとって「イエメン」という国のイメージとイギリスにとってのイメージが随分違うことと言えるだろう。この作品は娯楽映画であり、日本人の客に呼びかけるために、タイトルだけで内容が分かるようにしたほうがいい。日本人にとって「茫然とした」理解しかないイエメンという国の名前よりは、ありえない性(?漠然さ?)を強調する「砂漠」に書き換えたほうが日本人にとって分かりやすく、お客の目を引くではないか、と考えた結果ではないだろうか。わたしの知っている限り、日本は石油を輸入する関連以外に、中東地域の国とほとんど親しみがない(し、関心も利害関係もない、だろう。)(石油じゃない企業の進出が多少ある)。人の交流もそうだと思う。一方、イギリスは中東を植民地にする支配の歴史があり、双方の国でお互いへのイメージ(実態としても旧宗主国と植民地の関係)が一定の程度がある(映画の中でのニュースからも判断できると思う)。
映画に係るコメントは?
地理で学んでいた各国の公用語のおかげで、まだ世界史に触れてないときも、英語や、スペイン語やポルトガル語などが(ヨーロッパ以外で)公用語として使われる国がかつての植民地だったことが分かった。しかし、中東地域はそうではない。アラビア語が公用語であり、宗主国の外来言語の公用語がない。植民地化されていないと思っていた。(はい、誤解です。)資料を見ると、イギリスとフランスは第一次世界大戦のころに、アラビア半島を植民地にしたことがある(はい)。植民地の歴史があるにも関わらず、元宗主国の言語も風習も一つでも残っていなさそうという強さに感心した。(強さではなく、ここの委任統治型の植民地支配は、石油資源の利権のみの支配でよく、人民・宗教・言語の支配は関心がないのです。)元植民地の人になぜ「英語」(支配した宗主国の言語)が話せないか・できないかを聞いたら、失礼なことだと思う。(植民地主義者の意見となります。)マレーシアの友達がよくこのような質問をされる。ブラジルやアルゼンチンなどの国と違い、自分の民族の母語が広範囲で残っている限り、ほかの言語が第二言語になるわけである。第二言語が話せないことがごく普通のことであり、元宗主国の言葉がいらなくても生活できる誇りもあると思う。(はい、マレーシアの植民地化は、「海峡植民地」といって、マレーシア全土の支配ではなく、海峡部分の部分部分の支配でよかったからです。それ以外ではマレー語などが話されているのです。)それはフランス人が英語できても話したがらないというよく聞く話と同じ理由ではないか。(いいえ、状況がまったく違います。)国際化という現代社会の背景のした?(下もと)で、英語を勉強し、「国際的」な人材になるのは、国際学部生の目的ではないと思う。違う国籍・文化・社会的背景を持つ人の間でも、良く価値観を分かちあい、尊重しあい、交流ができる人になることが目的(の一つ)ではないか。
参考:
http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tyuutou.htm 中東の歴史