(苗木)
この映画を見て、正直私には何が言いたいのか全くわからないし、終わり方も中途半端なつまらない映画に感じた。なぜ自分は分らないのか、つまらないのか、を考えれる良い機会です。自分にとって、「分かる」とか「つまる」とは、どうゆうものとして考えているのかを考えてください。「分からない」「つまらない」という感想が、ダメだと言っているのではなく、「分からない」「つまらない」の理由を、自分なりに考えることが大切だということなのです。
映画を見終ったあとの議論で他の人の意見を聞いて、それぞれの考えに納得はしたが、同意できない部分もあり、自分になかった考えを聞くことができた。「同意できない部分」は、具体的にどこであり、なぜ同意できないのかの理由を自分なりに考えて表現できるようになりましょう。
日本人は「夫婦」「カップル」などのカテゴリーに甘えて、そのカテゴリーの関係性になると頑張らなくなる、という意見があり、日本人は周囲の目を気にしてカテゴリーを守ろうとするという言いたいことは理解できたが、やはり私は日本人が頑張っていないとは思えない。
「日本人、頑張リズム」の信者のようですが、まず「日本人」とはどのように把握しているか、
「頑張る」とは何を言っているのかを、自分で考えてみてください。「日本人、頑張ってます。」では、議論にならず、具体的に、どのように「頑張って」いるのかを、さらに「頑張る」とは何を言っているのかを、説明できるように、なりましょう。
先生が言った「自分の親を見て夫婦だと思うことはないだろう」という説明に対して、私は自分の両親を見て仲がいい夫婦だと思うことは多々あり、友人の両親を見たり、話を聞いても、夫婦だと思うことは多く、なぜ誰も反論しないのか疑問に思った。「仲のいい夫婦」とはどのようなものと把握しているのかを、表現してください。「夫婦」と思うことは否定できませんか、どのように「夫婦」だと思っているのか、議論であった「中身」のない「夫婦」でも、「夫婦」と理解されているので、「仲のいい夫婦」「夫婦」があると思うのなら、それを、他人に疑問を期待するのはなく、自分で表現してください。(ゼミではそのような議論の練習をしているのです)
たしかに留学中のホームステイの家の両親もお互いに大切にしていることがよくわかったが、日本人は表現が下手なのかもしれないが、頑張っていないわけではないと思う。
やはりこの「頑張リズム」が、気になります。「頑張る」って何でしょうか。人間関係の中身がないという議論が、どうして「頑張っているか」「いないか」の議論になってしまうのか、「頑張リズム」の落とし穴があることに、気づきませんか?
破局したことを噂されたくない気持ちもわかるが、カップルであればなおさら大々的にしないこともできるのだから、カテゴリーに甘えているから離れないわけではない。
「噂」という議論が出てくるように、日本の「夫婦」観には、世間体が前提になっている、という指摘に耳を傾けましょう。また、カップル問題が「私的」な問題と、前提にしていることにも気づいてください。カップル問題は、社会問題なのです。
映画の主人公の明子とのりあきの関係性についても、男女の考えから抜け出せていないという意見もあったが、わたしは抜け出す必要はないし(なぜ、ですかを表現してください。またあなたの「男女」観を、説明してください。)、共依存の関係も経験することで、気が付くこともあり、重要な経験だろうと思った。(「共依存」の理解は十分ですか。難しい概念なので、分かったふりをする必要はありません。十分「理解」してから、判断しましょう。)
全体的に、感想文的なコメントですね、感想文(私は、違う)ではなく、そう思う理由も提示するコメントを書けるようになって行きましょう。