文教大学学長主催ということでそちらのほうに気がいっていて映画や講演にあまり集中できなかった・・・。上映教室も6101と大きく設定しすぎてしまったし・・・、学長にも温度調節のこと言われてしまい、次回はどうしていったら良いかということばかり考えてしまっていた。映画上映会については、まだまだ考えなければならないことが多いです。その場だけでの対応策に始終して、全体的な課題を見ようとしませんね。
ソフトレボルーションのソフトはソフトパワーと同じ意味かな、と思った。はい、ソフトウェア、ソフトクリーム、の「ソフト」で、ハード(hard)の対語です。「ソフトパワー」の意味、理解してますか?ソフトではなく、「レボルーション」の意味を理解できてますか?映画でも汲み取ることができなかった。ベルリンの壁崩壊についてもう少し知らないといけないかもしれない、(たくさん知ってください。)ということで先生からの資料を見てみる。西ドイツがドイツ連邦共和国で、東ドイツがドイツ民主共和国であると初めて知ったかもしれない。西と東としてしか意識していなかった。米ソの冷戦構造を理解してますか?ドイツ民主共和国は1950から1960にかけて経済状態が悪化、そのため国民がドイツ連邦共和国に逃げておりその数は200万人にのぼった。その状況をドイツ民主共和国は阻止しようとベルリンの壁を作った。ということだが、ドイツ民主共和国とドイツ連邦共和国の境界線はベルリンには無い(ありましたよ、西ベルリン・東ベルリンの境界が)のにどうしてベルリンなのかという疑問がある。もしかすると、ドイツ民主共和国の政治・経済・文化などの中心がベルリンだったのかもしれない。「もしか」ではなく、基礎知識を調べるクセをつけてください。
2014年は3つの歴史的に重要な出来事の記念の年だという記述が気になった。はい、気にしてください。100年前にヨーロッパは第一次世界大戦に突入した(1914年)。100年という節目の2014年、ことの発端は第一次世界大戦、そして終結からすぐにヒトラー独裁、第二次世界大戦勃発(1939年、75年前)、ベルリンの壁が作られ壊され(1989年、25年前)・・・、その始まりがちょうど100年前ということだったのか・・・。
ドイツ外務大臣フランク=ヴァルター・シュタインマイヤーの声明も同じ資料に載っていた。「自由で開かれた民主主義的欧州を実現するという夢」、この夢が「外務大臣として世界各地を訪問すると、今や欧州だけの夢ではなくなっていることを折々に感じます。」それは「民主主義と法の支配、個人の自由な自己実現と社会の連帯です。」とあった。(日独伊三国同盟=ファシズムのドイツと日本の戦後は、ドイツ・ヨーロッパは民主主義へ、日本はファシズムのまま、というコントラストがありますが、日本人は無自覚です。)また強者の正義より、法の正義が重要だ、と言っている。個人の自由な自己実現ということは、ほかのところでも聞いたことがあるように思う。個人の自由な自己実現は素晴らしい夢だなと思う、(なにか自己実現というとロマンチックに理解してしまうのが日本ですね。)わたしもそうして自己実現をしていっている人々が交流し、連帯していく、民主主義を本当に理解しているのならば、争いは起きないのかもしれないとまで思ってしまう。(日本は民主主義を理解するどころか、ファシズムのままなのです。それに日本人は対抗しません。)自分の思うように自己実現を計って、相手(社会)と協調しながら連帯する、ということは難しいことではないのではないかと思う。自己実現できている人は自然と社会と連帯する、というか、社会のことを考えようとするのではないか、と・・。(自己実現できないのを諦めるように日本ではなっています。そしてそれでよしの日常に甘んじています。)
よく考えてみると歴史の授業としてベルリンの壁について習ってはいたが、そこまで深く関心を持ったことがなかった。9.11のドキュメンタリー映画の時のように、歴史観についてまた問われているような気がする。そういえば映画を見終わったあとに椎野先生が「歴史観」について話していたような気がする。副題にあるのは「人間の心の中に足跡を探して」である。この歴史とは、人間のこころ・・・記憶の中にしかないのかもしれない、と思う。公文書としての歴史には、起こったことが多すぎて書ききれないことや簡単に書いてはいけないこともあるのではないかとも思うし、きっと限られているから、同じ体験をしていてもひとりひとりの感じ方は違ってそれを書いて行くなんて出来ないと思う。(公式の歴史のイデオロギー(政治)を理解できるようになりましょう。)しかし、本当に歴史を理解するには、その体験をした人々の中の歴史を知らなければならないのではないか。その歴史が古くて、文書や、建築物などでしか、分からなくなるかもしれないが、わりと新しい歴史でその歴史が生きている(その出来事を経験したことがある人物が存命)ならば、そこから新たな歴史を知ることができるのかもしれない。はい、歴史観をアンラーンしましょう。そうすると、現代(今)が見えてきます。(多くの人は「今」が見えていません。)
この映画を見るということは現在においてどのような意味があるのか。まず日本でおこった場合のことを考えてみる。生まれた頃からお世話になっている両親とベルリンの壁のように分断されてしまうということはひどくショックになると思う。このように他の国でベルリンで起こった歴史を繰り返さないためにも、公文書だけの歴史ではない、歴史を知って行く必要なのではないかと考える。はい、生きた歴史を理解しましょう。
E.H.カー『歴史とは何か』「過去と現在との対話である」
ヴァイゼッカー元大統領「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」