先生から配られた資料を読んでみると、製作した想田和弘監督の評価が高いようであることがわかった。観察映画としての第1回目、長編ドキュメンタリーがこの「選挙」であるらしい。このように自民党だけではなく、選挙を行う政党全てに張り付いて観察映画を撮ったら、透明性が出てくるのにな、と思ってしまう、が実際はそんなに簡単には見せてくれないのかな、とも思う。「自民党」だから意味があるのです。政党について学習しましょう。
映画の中で先輩衆議院議員の紹介では「厳選して」とかなんとか言っていたが、本当は山内さんは自民党から川崎市議会選挙の候補者公募に応募しないかと聞かれ、その場で決めなければいけない雰囲気だったのもあって、「じゃあ応募します」といったらしい。随分と事実をねじ曲げちゃって、発言しているな先輩、と思った。いや、ねじ曲げたのではなく、素直に答えたのです。落下傘候補は、「東大卒」だけの経歴があればよいのです。
しかし東京で切手コイン商を営んで生計を立てられているのにも少し驚きだが、(建前の「職歴」なのです)「ひょんなことから」自民党に白羽の矢を立てられ、市議会選挙の補欠選挙に出馬することになった、ということは起こりうるのか?と疑問に思ってしまう(はい、起こるのです。これはドキュメンタリーです。)。本当に庶民、政治の素人に声がかかるだろうか?その「ひょん」なことがどんなことだったのか(「東大卒」の保守)、非常に気になる。どこかにちらっと山内さんの両親が政界に属しているか、関係しているか、というような記述があった気がするが、それにしても不可解だ。(これが、日本の学校歴社会の現実なのです。)
政教一致が良くないというのは、政治を支配するその宗教が国の宗教を決めてしまったり、その宗教以外では迫害するからなのだろうか・・・大日本帝国の国家神道の日本の歴史を理解するのが第一です。。キリスト教国家の弊害を考えてみると良いのかもしれない(いや、日本です。)。映画でも映っていたように、いろんな党に組織票が入るのかもしれないけれど、それは支持していれば、自分が権利を委託して、やってほしいと思うからこそなのかもしれない、と思う。その判断をするために多くの政党がこの「選挙」のような映画を作れるような行動をしてほしいし、見せられる内容の政治活動をしている政党であってほしい、というか、そんなことを思う(これが、見せられる政治の内容なのが日本の現実なのです。)このおかしさを日本人若者はきづけないのです。。映画のなかで、山内さんが「印象の良いようにすればいい」「政党名と立候補名を連呼すればいい」というようなことを言っていたが、通りすがりのひとはそれしか聞いてない。と思っているのもなんだか悲しいような気がするし、通行人もどうなんだろう・・・、それでいいのだろうか。まあ駅でちらしを配っているような時や本人が立って演説していても、通行人はほとんど止まっているのは見たことがないかもしれない。いくらか有名人の演説だと人が群がっているのに。だから映画の中でも小泉首相が演説しにきたのか・・・。これが日本ファシズムの現実ですが、だれも気にかけていません。
どうしてこんなにも成果というか実績が見えにくい(意味不明です)のだろうと思う(自分が政治に疎いだけなのか・・・?)。みんなどういう気持ちで選挙に行っているのだろう・・・。ただ票を入れるだけではないと思う。自分が社会をどうしていきたいか、自分だけでなく、皆が住みよい社会のためには何をすればいいのか、とか・・・考えながら自分の意見に近い政党や政治家を選んでいくのではないのかな・・・とわたしは思うようになった。では、どのような社会が住み良いと思っているのですか?そこが抽象的ですね。
ディスカッションでは18歳成人の是非について話されていたが、年齢を引き下げただけでは選挙や政治に参加しないのではないかと思った。選挙についてやはり考えていないのではないかと思ってしまうから。はい。立教大学の田中治彦氏のコラムのようなものにも書いてあったが、これに関心を持たせるようななにか仕組みがないと、成人年齢を引き下げても同じことの繰り返しなのではないか、と思う。(大人も)
同じディスカッションタイムでもう一つ成人についての議論がされていたと記憶している。そもそも成人の年齢、「年齢で線を引く」ということはどういうことなのか?という内容である。年齢は操作的定義にすぎないので、何歳にしても同じ問題が起こるのです。それについては、成人年齢以下では何をしても許されるというような印象がある。(この印象がおかしいのです)それを考えたら、成人の年齢はもっともっと早くてもいいのかもしれない・・・?成人の中身の議論が必要なのです。