椎野ゼミ課題
ブラックスワン
2014年12月12日
チョウ ロセン
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今回の映画について、まず、主人公ニナの家庭環境を考えていきたいと思う。家の(陳列?)間取り?から見ると、彼女はバレエに熱心(し)で、家でも姿勢のチェックや基本の練習を(す)している。お母さんの「手伝い」で生活面の心配がなく(?ニューヨークの有名バレエ団(おそらくNYシティバレエ団)のバレリーナですので、高給のギャラが出ているはずです)、バレエに没頭できるわけである。一見子供の夢を全力で支え、溺愛するほどのお母さんであるが、実はそうではない。お母さん(が)も昔(も)はバレエダンサー(の)だったことから、自分の夢を実現するために、娘のバレエの道を後ろ盾として支えている。ディスカッションの時にも、ニナがバレエを学ぶの(も)はお母さんの希望であり、(母は、娘(ニナのこと)を産んだので、つまり母になったので、自分のバレリーナの道をあきらめた経緯があるのです。母になることと引き換えに自分をあきらめたのです。)自分の意思ではないかという意見も出ていた。一生懸命お母さんの期待に応え、それが本当(の)に自分自身の夢(が)かどうかなど考えたことがないだろう。(良い娘のアイデンティティの自分)しかし、その反対に、主役を取ってから、ブラックスワンの演技に悩み、お母さんの言(い)うことにも反抗(し)するが、それでも自分の真の夢など考えていなく、(母の夢である)主役を放棄すること(が)はなかった。これ(が)では成長できたとは言いがたいと思う。(このストーリは、どのように娘が母に抗して、自分になるのかの物語なのです。)(果たして、ニナは自分になれたのか?「自分になる」とはどうゆうことなのか?
次に、ニナの幻覚についてである。まず、ニナの性格はというと、自分を抑えることが多く、決して性格が明るいとは言えない。主役に選ばれたが、ブラックスワンの部分の表現が評価されない。そして、目標にしている先輩の事故や同僚からの主役への野心?羨望?など(が)で、ニナの心(を)は大きく揺れ、妄想がひどくなった。今まで体験できなかった(い)主役になることの「恐怖」「プレッシャー」だろうか。しかし、私は疑問を持っている。努力家の彼女は妄想しても、その妄想の中に、自分が成功裏にブラックスワンを演じる可能性(も)は出てこなかった。もし単(なる)に自信がないのであ(け)れば、なぜ最初の時主役を求めるために、わざわざ化粧してトマに自薦?媚を売っ(し)たのか。もしくは、自信と関係なく、単なる主役という「夢」の目標を実現するためだろうか。ストーリーのクライマックス(これがどのようなストーリーが書いてください)の前に、彼女は今までトマ、リリー、ベスからの「刺激」で、昔の自分を捨て、人殺しをしても役を守る妄想までした。そして、このひどい妄想のおかげで、初演で完璧なブラックスワンを演じた。昔の気の弱い自分を「殺し」、強気な新たな自分を見つけた。この物語は単に、弱い自分から強い自分への変身物語ではないのではないか?幸か不幸かわからない。しかし、役のために、昔の自分を全否定する必要があるかと思うのである。このブラッックスワンの「役」の意味を捉え損ねていませんか。「役」と「自分」を分けて、役だけのブラックスワンになるような「役」ではないのです。この「役」には」、現実の自分とのオーバーラップが必要で、それがないと「役」を果たすことはできないのです。「主役」の役とは、そんなものなのです。そこに「ブラック」の意味をどのように捉えるのかの問題が横たわっているのです。