この映画はジャックアンドベティという映画館で上映していたので、観たことがあった。1回目に見たときは、ケニアのジャクソンとその妹は学校まで走っていかなければならないくらい危険なところを通っているし、モロッコのザヒラは道とは言えないような崖のようなところが学校への道みたいだし、インドのサミュエルは車いすに乗っていて1人では通えないし、アルゼンチンのカルロスとその妹は、馬に乗っていかないと行けないとこに学校があるし・・・みんな通学路も通学時間も長くて大変だなぁ、くらいに思っていたような気がする。なぜ、みんな、通学(学校に行くこと)をするのだろうか、考えてみよう。
学校へ通うのは、単に学校の教室での授業の勉強をするためだけでなく、まさに通学路に秘密があるのではないだろうか。彼/彼女らは、通学路つまり学校の行き帰りに、まさにその通学路で、学んでいるのではないのだろうか。street wizeという言葉があるが、彼/彼女らはまさに、通学路で学んでいると考えられるのです。学校の勉強だけでなく、通学路での世界についての学び、があるからこそ、この通学路を通って、学校の授業に出ているのではないだろうか?
2回目に鑑賞して、そして講演会を通して当たり前に思っている教育も当たり前ではないことを改めて噛み締めたほうがよいな、と思った。当たり前になれてしまうとそれ自体が大切だとは思えなくなるように、日本では教育が当たり前になっていると思う。その当たり前になっている「教育」が大問題だったらどうしますか?講演では学校や教育の機会が与えられても、質の良い教育かが問題になってくる、といっていた。確かにそうだと思う。子どもたちに教える教師もしっかりとした質のいい教育を受けてはいないからだそうだ。日本も、まったく同じような教育問題(教育の質)を抱えていないだろうか?しかし学ぼうとする意志はこどもたちには強く、辺境の国で学校に通っている生徒は熱心な子ばかりだと思えた(なぜ、そうなのだろうか?)。自らの人生に新たな考えや、可能性を見いだしてくれるのが教育なのではないか、(日本の教育は?)と彼らの夢を聞いて思う。羊飼いや身体的な運命や家とは関係ない道を拓いていける。本当に希望に満ちた地球の今と未来が見えてくる。日本で教育を受けている「学生」の現状は?
個人的にアルゼンチンのカルロスと、インドのサミュエルの弟に感動した。学校に登校するのに馬に乗っていくなんて、なんてかっこいいのだろう。わたしも馬にのってみたい。普段見る眺めとは全く違うのだろう。サミュエルの弟は毎回サミュエルにハグをしているのだろうか。身体障がいのことなど、気にしていない、自分の兄のことを大好きだと、いとおしく思っているのが伝わる。わたしの知り合いの中に、姉妹が障がいを持っている者がいる。その人物が腫れ物に触れるかのように姉のことを扱っている。わたしの周り、日本はとくにこういう傾向にあると思う。けれどわたしはサミュエルの弟みたいに接するのは人と思っているなら普通の行動なのかな、と。ということは日本では、障害者は「人」とは思われていないのですね。
それと監督の行動力がすごいなぁと思う。映画紹介文を作成しているときにの監督の経歴を読んで思った。今までの作品に12年間もマサイ族に密着して完成させた「マサイ」があるが、12年間という長い撮影期間、飽きる(?)こともなく、あきらめることも無く映画をとるエネルギーというか、情熱というか、がすごいなと思う。皆さんの生きてきた年月の半分以上を費やしているのです。今回の映画もそのエネルギーが見える。国連機関と一緒に取り組む国際組織の協力で情報が得られ、今回の映画の4カ国4人になったわけだが。それでも協力を依頼するのも自身の思いだろうし、なにか突き動かすものが監督の中にはあるのかな。なにか、と抽象化しないで、具体的にそれがなにかを考えてみましょう。