椎野ゼミ課題 海と大陸 2014年10月24日 チョウ ロセン b4w51591
この映画は主にイタリア南部(のシチリア島の南方)の小島の島民フィリッポ家(?フィリッポは青年の名前で、名字はプチッロなので「プチッロ家」)が日常の生活の中で、アフリカからの難民サラとその息子を収容?し、大陸のほうに引き渡す?ための?物語である。
まず、ディスカションのとき最後に疑問を提出した貧困の問題について話したいと思う。確かに、貧困には絶対的貧困と相対的貧困に分かれている。映画「幸せの経済学」にも出たが、最初にあの村に行ったとき、どの家が一番貧しいかと聞き、「この村に貧しい家庭がない」という返事であった。自分たちが幸せだ?と思ったら、それで十分だと思う。(貧しく無い=幸せ、でもない。別の次元の問いです)資本主義?の「相対的貧困」も貧困の一つで、貧困イコール不幸という考え方には限らないと思う。(どの国の国民かによって、国民所得が異なるので、貧困層の具体像も異なってしまうのです)(国民間の比較ができないのです)もちろん、上を目指し、視野を広げるという意味でも、狭い「世界」に閉じこもらないほうがいい。まず「絶対的貧困」と「相対的貧困」の概念を理解してください。前者は「絶対的な」基準による貧困の定義です。(一日1ドル以下の生活のことなど)後者は「相対的な」基準による貧困の定義です。(国民の所得の平均値の半分以下の人など)
次に、フィリッポの祖父のエルネストさんが規則よりも、人の命を助ける方を優先するのは、素晴らしかったと思う。しかし、海に跳んだ人たちを舟に乗せ、あとから来た警察の船に乗り換えればいいではないかと思う。否、イタリア・EUの法律では、漁師が難民を救助すること(舟に乗せるなど)自体が禁止されており、禁止行為をすると罰せられます。つまり舟に乗せた時点で、それを内緒にしていなければならないのです。あとの船の差し押さえることにもならないと思う。(なるのです。)当時の状況でそこまで多く考える時間がないと思うが。いや、漁師は事前にそのことを知っているはずです。
最後に、ヨーロッパ特にEUの難民政策に驚いた。アフリカの歴史に詳しくないが、ほぼ全部の国がヨーロッパ当時の先進国に殖民されたことを知っている。今の難民の発生もあの時とまったく関係ないとは言えないと思う(植民地時代、そして独立後の各国の状態を知りましょう。)。しかし、これらのヨーロッパ諸国はほぼ難民を受け入れる姿勢で、EU中にきちんと法律もある。中国は先進国ではないため、外国からの言葉も違う、文化も違う難民をどう受け入れるのかには想像もつかない。中国は、難民条約を批准していますが、まったく違反だらけです。しかし、日本を考えると、先進国と言っても、外国人の比率が低いと言われている。1.5%地理的に孤立もある一方、文化の差異も残っているではないか。文化とはなんですか?固定的なものですか?黒船が来てから、外国人が日本の土地にいるだけで嫌味を感じたり、心から受け入れられないだろうか。Xenophobiaは、日本の本質なのだろうか。もちろん、日本周辺は難民を大量発生する国はまだないが、北朝鮮問題があります。もしあったら、日本政府はどう処置するかについても興味がある。ベトナム難民インドシア難民の時と同じ対応でしょう。