先生からの説明に「歴史観の見直し」についてあったと思う。わたしも歴史は受験勉強の歴史しか知らなかったかもしれない。はい。過去のこととしてとらえたところで終わっている。はい。そもそもどうして日本史と世界史でわかれているのか、日本らしさというものを作り出すためなのかもしれない・・・。近代国民国家の「国史」を構築するためです。しかも今まで勉強してきた歴史は支配階級が書いた文書に基づく歴史しか残っていない。ということは支配階級から見た被支配階級であったり、支配階級の生活であったりが勉強の対象であるということである。はい。
9.11の事故後の文書は、現代のアメリカの支配階級が出した公式見解である。2機のなんらからの飛行機がワールドトレードセンターに追突したのは間違いないようだが、中東を天然資源の目的のためにアメリカの支配下にするために、というか何らかのねらいがあってこれをテロに見せかけた、という見方もできるということを提示したドキュメンタリーだったのかな?と思う。とりあえず、公式の歴史記述と異なることが生起していた可能性があることを示したのです。
映像で見れば一目瞭然であるのにその映像の根拠の証明が難しいという点で後世に伝えられる公式見解には載せられないのである。9.11はそうやって歴史が作られている可能性があるということがわかるいい例なのかも・・・。はい。事実を歴史にすることができればいいのにな、と思う。「事実」とはなんですか?どうやって事実を認識できるのでしょうか?
しかし、被支配層には被支配階層の歴史があって、文書として確実に残るわけではないが、口頭で伝えられるというか、それなりに伝わっていくのではないかとも考えた。口述歴史oral historyオーラルヒストリーと言います。口承文学は、民俗学などの史料です。祖母から母へ、そして娘へ、といった風に。女性史の方法論です。そう考えたらわたしが小学生の時からつけている日記も庶民の歴史を、時代の片鱗を感じられるものになるのかしら、と思う。はい、アメリカの社会学者ズナニエツキは『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』1918年を書く時に、ポーランド移民の手紙や日記を史料として使いました。そしてわたしの卒業後の仕事である、高齢者との関わり合い、自分が生きていない時代を生きたひとの人生を、そしてその人に関係していた要素を知ることができる、と捉えられるのかもしれない。(ちょっと話がずれたかも・・・)はい、オーラルヒストリーを聞く機会が多くなるのです。
疑問なのは「歴史を作り出しているのは現在を生きているわたしたちである」ということである。私たちが勝手に作ってしまっているということなのだろうか?まず「私たち」って誰なのでしょう。勝手に作ってはいけないと思ってますか?「勝ってに作っていいのですよ。