椎野ゼミ課題
オキュパイ・ラブ
2014年7月18日
チョウ ロセン
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「オキュパイ・ラブ」の中に出てきた様々なデモについて、話したいと思う。エジプトの例では、デモの後、社会の不安定になっており、国民が貧しくなったという状態になった。反政府デモに基づく2011年の「1月25日革命」の後に、エジプト「国民」が貧しくなった訳ではありません。親米・親イスラエル路線のサダト大統領(1981年暗殺)を継承したムバラク政権は30年ちかく独裁政権であり、新自由主義政策の下、経済成長路線をとっていたが、国民の貧富の差が激しくなり、若者層の失業率が高かったのです。2010年のジャスミン革命(チュニジアの政権崩壊)など「アラブの春」(2010-1012年)に触発されて、前例のない反政府デモが大規模に起こり、ムバラク大統領が辞任した「革命」になったのだ。これは変革(あと)後の辛い時期であるが、デモを行う時、大勢の人が本気で考えたのか。はい、エジプトで初めてのデモであり、反政府のための「焼身自殺」から始まり、20万人の大規模デモとなり、2月11日のデモは全国で100万人規模となっていたのです。今の政府を覆すあと、誰が新しいリーダーになって、どんな変革を求めるのかなどについてのことを考えたのか。はい、革命後に、軍による暫定統治を経て、2012年5月にアラブ世界で初めての「自由選挙」によって、結果としてモルシ大統領が選出されたのです。たぶん、多くの人があの時の専制政体に不満を持っており、はい一刻も早くこのような不平等な社会を終わらせたいだけだと思う(いいえ)。しかしムスリム同胞団を母体とするモルシ政権は、新憲法宣言へ国民から反発を買い、経済政策は、財源の観光業や運河収入が低迷し、国民の半分以上は依然として貧困層のままであった。政権に対する抗議運動が展開され、2013年7月には事実上の軍事クーデターが生起したのです。辛い変革時期であるが、もし、国民に望んだ社会に順調になっていったら、このデモは成功だといえるだろう。革命の後は、すべて順調とならないことは「フランス革命」の教訓ですね。経済の低迷は続いているが、デモクラシーにおいて一定の進歩があったことは見逃すべきではないでしょう。
メインのアメリカでのデモの例についても話(も)をしたいと思う。「ウォール街を占拠せよ」は斬新なデモであり、スローガンを大声で唱えることではなく、みんなで意見を交換する場を作ることである。しかし、そこには一つの問題があると思う。アメリカは資本主義の国であり、個人の財産を重視している。「ウォール街を占拠せよ」という活動が公園を「占領」していた。公園とはいえ、オーナがおり、私有財産だと思う。占領という行為が合法かどうかを考えている。デモの本拠地となったズコッティ公園は、民間運営の公園であり、24時間開放の公共空間なのです。公営の公園でないからこそ、市警察も直ぐには排除できなかったのです。しかし、このような新しい形のデモを批判できない。自由に自分の意見を十分に話し、ほかの人の考えを聞き、自分なりに問題の解決について話し合うことが日本にできないと思う。はいそうですね。なぜなら、日本のデモに参加する人はほとんどがお年寄り(60才以上と女性)ということからである。私が考えた理由は、中年の人たちが働き者であり、仕事に忙しいし、(無関心もあります。)デモに参加するのに、休みを取ることが不可能からである。会社への忠誠心のためでもあるのです(デモは反会社になると捉える企業たち)。労働組合動員のデモは別ですね。若者は政治への関心も低いため、参加しない理由の一つだと思う。この間、集団的自衛権反対デモ(若者たち)がありました。
この間台湾の大学生のデモのことについて話したいと思う。大陸との(服装?貿易条約)サービス(服務)貿易協定に疑問があり、それを反対し、デモに発展した。しかし、立法院を占領した学生たちのうちに、いったい何人がこの服装貿易条約?の内容をよく知っているか。そのデモに参加した学生たちは、ただ授業をさぼるためデモに参加したのが何割あるか。遊び心でデモに参加する人も少なくないと思う。そうゆう学生もいるでしょうが、100%が真面目な学生でなくてはいけないという論調の方が可笑しいのではないか?今回の台湾学生への評価は非常に高く、学生たちは理知的であったのです。今回は逆に警察側の行動やマフィア利用に批判が高まっています。自分の意見をはっきり表す行為の一つのデモは、ほかにたくらむところがある人に利用される可能性もあり、もともとの意味がなくなる恐れがある。もともとの意味だけでなくてもよいのです。プロパガンダ合戦は常にあります。中国大陸にデモを行うことが可能であるが、事前の申し込みが必要である。日本もそうです。それは多分、下心の人が利用し、デモの意図と関係ない騒動を起こしたり、破壊活動したりすることを防止するためだと思う。中国の場合には、絶えず、他のデモ目的にかこつけた共産党批判に目がいっています。言論と行動の自由にも一定の制限がある。どのような意味での「制限」かを考察する必要がありますね。日本も中国もこの点に関しては、デモクラシー先進国ではありませんね。各国の事情により規定があるため、同じような標準で判断されるべきではないと思う(、)。「国の事情」をどのレベルで考えるのかを検討する必要がありますね。国家よりの発想には要注意。