CM(予告編)を観たときなんかつまんなそうだなぁ、地味だなぁ、という印象だったので今まで積極的に見ようとは思わなかった映画だったが、スポンサーがあんな大手のマスメディアだったとは驚いた。制作:「舟を編む」制作委員会(テレビ東京、松竹、アスミック・エース、電通、光文社、朝日放送、テレビ大阪、読売テレビ、朝日新聞社、フィルムメイカーズ、リトルモア)あんな地味なのが実は大売り出しされていたんだなぁ、と。興行収入8.27億円、観客動員68万人。2013年第37回日本アカデミー賞最優秀作品賞その他、2013年第87回キネマ旬報ベストテン(第2位)(ちなみに第1位は「ペコロスの母に会いに行く」森崎東監督)
「舟を編む」はきれいな?日本語が使われ、そしてそれ(それとは何?)をテーマにした映画なんだなという印象だった。劇中で「(日本語を使うこと?辞書を作ること?言葉に触れること?は)世界に触れる喜びだ」と老国語学者の松本が言っていた部分があったが、それは世界観と言語についてアンラーン勉強会で扱った塩沢・山脇論文にも書かれていた、そして椎野先生が解説してくれた「言語を学ぶことの理由や意義」と同じことを言っているのではないかと思えた。(そうだが、この老国語学者は学者としては表面的なことしか言わないのだ。この学者の言語観が陳腐なのだ。)
わたしは観ている段階ではこの映画をそれほどネガティブに捉えなかった。日本語の美しさを伝えているなぁとか、辞書づくりという何十年もかかる地味な、人々の目には触れにくい、若しくは一生触れられることの無い仕事にスポットを当てて辞書づくりのいろんな面を映し出しているんだなとか、その仕事を描いていくことで好きなことにのめり込むというか達成感というか、そんなようなもの(はい、そんなようなものしか、描いていないのです。これらの仕事観が文切り型なのだ。就活の「志望動機」で書かされている理想の仕事観に近いのです。)を表現しているからそれ自体はいいなぁ・・・と思ったからだ。労働条件を気にして観るとか、女性の描かれ方に注目するとか、男性中心に描かれているとか、それらの見方があるっていうことを知りながらも、この点とこの点で(具体的にはどんな点?)言えばいい映画だな、って思ってもいいのではないかなと思う。
好きだなと思ったのが、「分からないから話をする」とタケさんが馬締にいっている場面と、誰かが「自分の気持ちを明確に表す言葉を探す」といっている場面だった。的確な表現をするために、昔からのことばを忘れたくないと思った。どのくらい言語を分節化できているのか、なのです。
それと紙の大切さ。西岡が「何のための紙媒体なんですか!100年先に残すためにあるんでしょう!」というような内容を上司に訴えている所をみて、たしかに電子媒体は100年先にまた閲覧が可能だろうか?と考えた。電子媒体は脆いもののように思えてきた。紙と電子媒体という分け方に問題がありますね。今は、紙ならOKではなく、酸性紙問題があり、現在の図書館は、資料のデジタル化が進んでいるのです。
ゼミの先輩で社会人をして長い井上さんもいたこともあって、(張さんの提起した)天職について(天職のルーツ?についても聞けて面白かった)、仕事について真剣に話せたような気がした。実際に企業で働いている、しかも説明会等で接している社会人たちとは違う、企業側の採用の実情についてや、企業の実態、社会で働くことについてなどの話が聞けたな、と思う。すごくいい機会だったと思う。はい、そうですね。
多分、チョウさんがこの映画を紹介していなかったら、ずっと観なかったと思うが、ゼミがきっかけで観られてよかった。やはり好みが違う人との交流やコミュニケーションは自分に刺激をもたらすものなのだな、大事だな、と思った。はい。