50分という短い映像だったのに、思うことがたくさんあった。ディスカッションの時には出なかったけれど、運転士の高見さんの事故直前の状況について気を取られてばかりいた気がする。事故当時のニュースで確か高見運転手はブレーキを握りながら亡くなっていた、ということを聞いたことがあるからかもしれない。ディスカッション中でも遠藤さんが異例の速さで「夢をかなえた」高見運転手はこうやって会社に殺された、と言っていて、悲しくなってしまった。はい、確かに社会(会社)は人を殺しているのです。(殺された側はそのことに気づかすに)。なぜ殺すのか?会社の利益のためにです。
このJR福知山線脱線事故はいち運転士の不注意で片づけられてはならない問題だ。というのがこの作品のメッセージなのではないかとわたしは判断したのだがこれで合っているのだろうか。はい、そうです。遠藤くんの資料に書いてあるとおり、個人の責任ではなく、会社組織の労務管理の問題、労働問題・経営問題なのです。(配布資料は、復習の段階で、きちんと目を通しておくこと。)当たり前すぎて議論にも上がらなかったのか・・・?確認のために聞いておけばよかったな、と思う。外見はJR、運転手の問題ととらえられがちで、でも問題の中身は日本社会や社会構造であると思う。会社組織の問題、組織の罪をどう問うかの問題なのです。それと私の指摘したのは、事故調査委員会の(監督官庁/厚生労働省からの)独立問題です。
そう認識して映像を見ていくうえで劇中でも「日本人の価値」ということが言われていたが、キーワードとなるのが「定刻・真面目・きちんと」であるとも指摘されていた。これでいいのか日本社会?はい、個人の「真面目さ」を悪用して、会社組織は、個人に不可能なことを課しても、その個人は「真面目に」非人間的待遇に沿っていくのです。
インタビューを受けていた被害者女性の言葉に「時代が求めていることと人の出来ることのバランスが取れていない」とあったが、まったくその通りだと思う。だからこそこの事故が起きたのだと思う。
「時代が求めていること」をより具体的に把握できるためには何をすればよいのか?
それと驚いたのことがある。整列乗車が乗客から自然に発生したマナーではなく、鉄道会社が業務を効率的にするために作られたものだった、ということだ。はい、関西ではまったく「自然に」整列乗車なんか発生していないのです。
労働組合の弱体化もこの事故には大きく関わっているようだったが、しっかりと理解できなかったかもしれない。労働条件などに意見できるのが労働組合のしかるべきだが、JR西日本はその機能が弱体化してしまっていて、それが福知山線事故にも繋がったということだろうか?
社会学をやっている椎野ゼミっぽいまさに社会的背景を取り上げ問題視しているドキュメンタリーだったと思う。はい、その問題視を共有できるように社会学を少しずつ勉強しましょう。
(初めてメールで提出で、字数制限などもなく、氏名や学籍番号の明記も特になかったようなのでこのようにしましたが・・・よかったのでしょうか。)
字数は、この倍(今は800字ぐらいだが、理想は1600字)。氏名は、自動的に載ります。