2014 年 1 月 9 日(木)15:10-16:30~(4301 教室)国際学部映画上映委員会
(C)2011 シグロ/トモコーポレーション
2014 年 1 月 9 日(木)
●映画上映 15:10-16:30 (4301教室)
●講演会 16:40-18:10 (4301教室) ゲスト:石田優子監督
●会場 文教大学湘南キャンパス
お問い合わせ:国際学部事務室(0467‐54‐3717)/ b0w41147@shonan.bunkyo.ac.jc(吉村)
*入場無料・一般の方もご参加ください。(バスをご利用ください)
映画『はだしのゲンが見たヒロシマ』(日本/2011 年/77 分/カラー)
HP http://www.cine.co.jp/gen/staff.html
予告編 http://www.youtube.com/watch?v=bBZC-4j4nOU
漫画家・中沢啓治が自身の生い立ち、広島での被爆体験から『はだしのゲン』を描くまでの半生を語る
『はだしのゲン』作者・中沢啓治が広島市内の思い出の土地を辿りながら証言、貴重な原画とともに決して忘れてはならない戦争と原爆の姿を見つめる
主催:国際学部対外活動委員会(国際教育連帯小委員会)映画上映委員会
漫画家・中沢啓治が自身の生い立ち、広島での被爆体験から『はだしのゲン』を描くまでの半生を語る
『はだしのゲン』作者・中沢啓治が広島市内の思い出の土地を辿りながら証言、貴重な原画とともに決して忘れてはならない戦争と原爆の姿を見つめる
—もう黙っていない、自分にできるのは漫画しかない。漫画で原爆をとっちめてやる —
1945 年 8 月6日の広島、中沢は国民学校1年生(6 才)だった。原爆投下の時、奇跡的に助かるが、父・姉・弟を亡くし、被爆直後に生まれた妹も 4 ヶ月で亡くなった。漫画家として活動を始めてしばらくした頃、原爆病院に長年入院していた母が亡くなる。火葬し、骨を拾おうとすると粉々に砕けてほとんど残っていなかった。「原爆は母の骨まで奪うのか」怒りがこみ上げた。それまでは被爆者差別もあり「原爆」から逃げていたが、母の死をきっかけに「自分にできることは何なのか」必死に考え続け、原爆をテーマにした漫画の第 1作目『黒い雨にうたれて』を描き上げた。その後少年ジャンプの編集者との出会いから『はだしのゲン』が生まれる。
中沢啓治(なかざわ・けいじ)
1939 年広島生まれ。1963 年『スパーク1』でデビュー。1968 年『黒い雨にうたれて』を発表。戦争・原爆をテーマにした作品を描き始める。1972 年自伝的作品『おれは見た』、1973 年『はだしのゲン』が週刊少年ジャンプにて連載開始、1987 年に第1部が完結。『はだしのゲン』は映画、テレビドラマ、絵本、紙芝居、ミュージカルなどにされた他、13 カ国語以上の言語に翻訳されている。2009 年、視力の低下を理由に『はだしのゲン』第2部の執筆を断念。所持する全ての原画 9,505 点が広島平和記念資料館に収蔵される。2012 年肺がんのために死去。
監督:石田優子(いしだ・ゆうこ)
1978 年東京生まれ。映画美学校にて佐藤真に学ぶ。その後映画製作・配給会社シグロ入社。『映画 日本国憲法』(監督/ジャン・ユンカーマン)、『ぐるりのこと。』(監督/橋口亮輔)、『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(監督/東陽一)などにスタッフとして関わる。『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(監督/佐藤真)では助監督として参加。戦争・被爆体験の証言記録ビデオ『沼田鈴子さんに聞く』『居森清子さん 居森公照さんに聞く』『鶴田マリさんに聞く』では編集を担当。本作が初監督作品となる。