映画『バビロン』本予告
映画『バビロン』
2023年2月10日(金)日本公開!
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<イントロダクション>
舞台はゴールデンエイジ(黄金時代)と呼ばれた1920年代ハリウッド、サイレント映画からトーキー映画へと移り変わる時代に、映画業界で夢を叶えようとする男女を描く。
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<キャスト>
ブラッド・ピット,マーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ
ジーン・スマート、ジョヴァン・アデポ、リー・ジュン・リー
P・J・バーン、ルーカス・ハース、オリヴィア・ハミルトン
トビー・マグワイア、マックス・ミンゲラ、ローリー・スコーヴェル
キャサリン・ウォーターストン、フリー、ジェフ・ガーリン、
エリック・ロバーツ、イーサン・サプリ―、サマラ・ウィーヴィング
オリヴィア・ワイルド
<監督・脚本>
デイミアン・チャゼル
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映画『バビロン』オンライン:
■公式HP:https://babylon-movie.jp/
©2022 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
https://youtu.be/bDzpDcR8xW4
映画『バビロン』最新予告
映画『バビロン』が、2023年2月10日(金)に公開される。ブラッド・ピットやマーゴット・ロビーが出演。
映画『バビロン』本編映像|マーゴット・ロビーが弾けるオープニングアクト 編
映画『バビロン』大ヒット上映中!
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<イントロダクション>
舞台はゴールデンエイジ(黄金時代)と呼ばれた1920年代ハリウッド、サイレント映画からトーキー映画へと移り変わる時代に、映画業界で夢を叶えようとする男女を描く。
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<キャスト>
ブラッド・ピット,マーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ
ジーン・スマート、ジョヴァン・アデポ、リー・ジュン・リー
P・J・バーン、ルーカス・ハース、オリヴィア・ハミルトン
トビー・マグワイア、マックス・ミンゲラ、ローリー・スコーヴェル
キャサリン・ウォーターストン、フリー、ジェフ・ガーリン、
エリック・ロバーツ、イーサン・サプリ―、サマラ・ウィーヴィング
オリヴィア・ワイルド
<監督・脚本>
デイミアン・チャゼル
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映画『バビロン』オンライン:
■公式HP:https://babylon-movie.jp/
©2023 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
Finale
Provided to YouTube by Universal Music Group
Finale · Justin Hurwitz
Babylon
℗ 2022 Paramount Pictures, under exclusive license to Interscope Records
Released on: 2022-12-09
https://eiga.com/movie/97881/
「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督が、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーら豪華キャストを迎え、1920年代のハリウッド黄金時代を舞台に撮り上げたドラマ。チャゼル監督がオリジナル脚本を手がけ、ゴージャスでクレイジーな映画業界で夢をかなえようとする男女の運命を描く。
夢を抱いてハリウッドへやって来た青年マニーと、彼と意気投合した新進女優ネリー。サイレント映画で業界を牽引してきた大物ジャックとの出会いにより、彼らの運命は大きく動き出す。恐れ知らずで美しいネリーは多くの人々を魅了し、スターの階段を駆け上がっていく。やがて、トーキー映画の革命の波が業界に押し寄せ……。
共演には「スパイダーマン」シリーズのトビー・マグワイア、「レディ・オア・ノット」のサマラ・ウィービング、監督としても活躍するオリビア・ワイルド、ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のフリーら多彩な顔ぶれが集結。「ラ・ラ・ランド」のジャスティン・ハーウィッツが音楽を手がけた。
2022年製作/189分/R15+/アメリカ
原題:Babylon
配給:東和ピクチャーズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/バビロン_(映画)
公式サイト:https://babylon-movie.jp
『ラ・ラ・ランド』の監督最新作の舞台は、ゴージャスでクレイジーなハリウッド黄金時代。豪華なファッションに、ド派手なパーティ、規格外の映画撮影に、熱狂的ジャズミュージックが、観る者の感性を刺激する。主演には、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーを迎え、激動のハリウッドで夢を叶えようとする男女を演じる。ゴールデン・グローブ賞では作品賞や演技賞をほぼ独占するなど主要5部門にノミネート。本年度の賞レースの主役との呼び声高い、未来に語り継がれる新時代の名作が誕生した!
1920年代のハリウッドは、すべての夢が叶う場所。サイレント映画の大スター、ジャック(ブラッド・ピット)は毎晩開かれる映画業界の豪華なパーティの主役だ。会場では大スターを夢見る、新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)と、映画製作を夢見る青年マニー(ディエゴ・カルバ)が、運命的な出会いを果たし、心を通わせる。恐れ知らずで奔放なネリーは、特別な輝きで周囲を魅了し、スターへの道を駆け上がっていく。マニーもまた、ジャックの助手として映画界での一歩を踏み出す。しかし時は、サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の時代。映画界の革命は、大きな波となり、それぞれの運命を巻き込んでいく。果たして3人の夢が迎える結末は…?
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラッド・ピット
• P・J・バーン
• ルーカス・ハース
• マックス・ミンゲラ
• ローリー・スコーヴェル
• キャサリン・ウォーターストン
• フリー
• ジェフ・ガーリン
• エリック・ロバーツ
• イーサン・サプリー
STAFF
• 脚本/監督
デイミアン・チャゼル Damien Chazelle
名門ハーバード大学在学中に卒業制作としてミュージカル映画「Guy and Madeline on a Park Bench(原題)」(09)を監督する。大学卒業後、高校時代の実体験をもとに、若きドラマーと鬼教師の物語「Whiplash」の脚本を執筆。同作にほれ込んだジェイソン・ライトマンのもとで短編映画化し、サンダンス映画祭アメリカ短編映画審査員賞を受賞する。これを足がかりに自らのメガホンで「セッション」(14)として長編映画化。サンダンス映画祭でグランプリと観客賞に輝き、第87回アカデミー賞でも3部門を受賞、自身も脚色賞にノミネートされた。続くミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」(16)は、第89回アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚本賞を含む14ノミネートを記録、史上最年少32歳39日での監督賞受賞を果たしたほか、6部門で受賞した。そのほか、映画「グランドピアノ 狙われた黒鍵」(13)、「10 クローバーフィールド・レーン」(16)の脚本を担当している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/デイミアン・チャゼル
• 製作
マーク・プラット p.g.a.、マシュー・プルーフ p.g.a.、オリヴィア・ハミルトン p.g.a.
• 製作総指揮
マイケル・ビューグ、トビー・マグワイア、ウィク・ゴッドフリー、ヘレン・エスタブルック、アダム・シーゲル
『ラ・ラ・ランド』で、ハリウッド・ミュージカルを現代に蘇らせ、史上最年少でアカデミー監督賞を受賞したデイミアン・チャゼル。彼の新作『バビロン』は、生まれたばかりのハリウッドを描く壮大なスケールの野心作だ。 『バビロン』でチャゼル監督が目指したものは何か? 本人に直接インタビューで尋ねてみた。
チャゼル:「当時のハリウッドは開拓時代の西部のように何もかも許される無法地帯でした。それを、この映画で観客に肌で感じてほしかったんです」
1920年代、テレビもインターネットもなかった時代、ハリウッドが作り出したサイレント映画はエンターテインメントの王様だった。まだ、ほとんど荒野だったハリウッドに、世界中から富と夢と野望を求める男女が押し寄せた。当時のロサンジェルスは人口も少なく、警察権力も小さく、映画の内容にも今のような倫理的な規制(コード)は何もなかった。ハリウッドは映画の中も外も、完全に野放しだった。
サイレント時代のハリウッドの狂乱を回顧した本がケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロン』である。それはハリウッドを、道徳の乱れた罪深き都、と聖書に書かれた古代バビロンに例えた。
デイミアン・チャゼルの『バビロン』もハリウッドを豪華絢爛、酒池肉林の乱痴気騒ぎとして描く。それはゴージャスでグラマラスであると同時に凄まじくクレイジーでグロテスクだ。
チャゼル:「古き良きハリウッドといわれて僕らの頭に浮かぶのは魅惑的でエレガントで洗練されたイメージです。もちろん、そのイメージはハリウッド自身が作り上げてきたものです。ハリウッド映画は自分自身について語るのが実にうまいから、自分の歴史についても幻想を作り上げてきました。
でも、その奥底に隠された本当の歴史を覗けば、はるかにおぞましいものが見つかります。その2つを激突させてみたらどうだろうと僕は考えたんです。たとえば、美男美女が豪華なドレスで着飾って集まった立派な豪邸で、セックス、ドラッグ、バイオレンスの宴が繰り広げられる。それこそが黎明期のハリウッドの実態を捉える方法だと思ったんです」
『バビロン』の主人公は3人。映画女優を夢見るネリー(マーゴット・ロビー)、映画に憧れるメキシコ系の青年マニー(ディエゴ・カルヴァ)、そしてサイレント映画の大スター、ジャック(ブラッド・ピット)。この3者のドラマが互いに交錯しながら同時進行していく。
そのような構成を映画史上初めて試みたのはD.W.グリフィス監督の『イントレランス』(1916年)だった。『イントレランス』では、古代バビロン、キリストの受難、聖バーソロミューの虐殺、それに現代(1910年代)のドラマが行ったり来たりしながら同時に進行する。
チャゼル:「グリフィスはご存知のようにハリウッドと映画のパイオニアでした。『イントレランス』のような映画はもう作ることができません。あまりにも現実離れした超大作で、映画の可能性を拡大しました。初めて観た時はただもう驚きで言葉を失いました」
特にネリーとマニーが初めて映画会社の撮影セットを訪れるシークエンスは凄まじい。サイレント映画なので音はどうでもいい。いくつもの映画が隣り合わせのセットで撮影されている。ネリーはオーディションを受けて、その場で最初の映画撮影が始まる。マニーは壊れたカメラの代用品を求めてロサンジェルスまで車を走らせる。照明が無いので日没までにカメラが必要なのだ。それを待っている間、ジャックは酒を飲み続ける。マニーは間に合うのか? このサスペンスとドタバタ・コメディをチャゼルはリズミカルに編集し、映画それ自体にダンスさせながらスピードを増していく。
チャゼル:「あそこでは『イントレランス』の編集を手本にしました。『イントレランス』は映画編集の極北です。だからやってみたかった。ジャグリング(お手玉)みたいに各シーンを同時に操って、違うストーリーを互いに噛み合わせてリズムを作って、次第にテンションを高めていくんです」
しかし、そんなサイレント映画の黄金時代にも終わりがくる。初のトーキー(音声)映画、『ジャズ・シンガー』(1927年)で、人気歌手アル・ジョルソンがスクリーンの中で歌って踊る姿に観客は熱狂した。ハリウッドは一斉にトーキー映画、ミュージカル映画になだれ込む。
その転換期のドタバタを楽しく描いたミュージカル・コメディがジーン・ケリー主演の『雨に唄えば』(52年)だ。ジーン・ケリー扮するサイレント映画のスターは初のトーキー映画に挑戦するが、共演女優の声が悪く、訛もひどくてうまくいかない。そこで、吹き替えでミュージカルに作り変えて大成功する。
しかし、実際は多くのサイレント時代の俳優が、トーキー映画について行けずに消えていった。
チャゼル:「サイレントからトーキーへの移行はハリウッドで働く多くの人達にとって悲惨な出来事でしたが、『雨に唄えば』はそれを明るく楽しくカラフルなミュージカル・コメディにしました。僕は『バビロン』で『雨に唄えば』の影の部分、滅んでいったサイレント映画の悲惨さを語ろうとしました。でも、同時に映画のロマンと楽しさと美しさを讃えたかった。なぜなら、その矛盾こそがハリウッドそのものだから。ハリウッド自体が光と闇がせめぎ合う矛盾した存在なんです」
ブラッド・ピット扮するサイレント映画の大スター、ジャックは、実在のスター、ジョン・ギルバート(近日公開のコラムで解説)をモデルにしている。トーキー時代に急激に人気を失っていくジャックを演じるブラッド・ピットが素晴らしい。自分の時代が終わったと悟ったときのブラッド・ピットの寂しい微笑みには胸をしめつけられる。
チャゼル:「ブラッドをキャスティングできて本当によかったです。カリスマ性のある大スターの役を実際にカリスマで大スターのブラッドに演じてもらえて。僕とブラッドは彼の役ジャックについてとことん話し合いました。ブラッドはシナリオに書かれていることを超えて、キャラクターを豊かにするニュアンスを加えてくれました。
ブラッドは、あまりにも細かいディテールから役柄を表現するので、彼がやろうとしていることのすべてはわかりませんでしたが、ただ、ブラッドがジャックを自分に個人的に引き付けて演じようとしたことはわかります。それは今までの彼にはなかったことです。この映画のブラッドには優しさと弱さがあります。特に後半、スターの座から降りていくジャックを演じるブラッドには今までスクリーンで見たことのないものがありました。それを撮影しながら本当に興奮しました」
マーゴット・ロビー扮するネリーはサイレント時代の人気女優クララ・ボウ(近日公開のコラムで解説)をモデルにしている。ネリーもトーキー映画に挑戦する。慣れない同時録音でコントのようなドタバタの末、トーキー第一作を成功させる。クララ・ボウもそうだった。しかし、突然、1930年代に人気を失ってしまった。ネリーもまたそうだ。いったいなぜ?
チャゼル:「その理由はいくつかあります。ひとつは、ハリウッドにはトーキーの出現と同時にモラルの変化も訪れたからです。それまでハリウッドの売り物だった自由奔放で、怖いもの知らずで、セクシャルなものは、突然、求められなくなりました。1930年代にハリウッドはヘイズ・コード(自主倫理規制)を導入したんです」
1920年代もハリウッドのサイレント映画は、その性的表現、モラルの乱れをキリスト教団体から激しく批判されていた。しかし、当時はバブル経済でパーティ三昧だった「狂乱の20年代」。性的に自由奔放な女性が映画の中でも外でも求められていた。ところが1929年に株式市場のバブルが弾け、大恐慌が始まった。失業者があふれ、社会はモラル締め付けの時代に入った。ハリウッドもそれを受けて、ヘイズ・コードという倫理規制を作り、映画における性的な表現を自主的に取り締まった。
チャゼル:「ネリーのモデルには何人かいます。たとえばクララ・ボウ。彼女はサイレント時代のセックス・シンボルでした。ところがハリウッドは1930年に入るとセックス・シンボルを求めなくなったんです。ハリウッドから性的要素を排除しようとして、ネリーのような女優は標的になりました。時代が悪かったんです。
でも、生き残った女優もいます。たとえばジョーン・クロフォードも20年代はセックス・シンボルでしたが、トーキー時代に生き残りました。乱痴気騒ぎや性的な露出を抑えて、シリアスなドラマで重い演技をして、現在考えられている威厳のある女優ジョーン・クロフォードに生まれ変わったんです。
ネリーはそんな風に順応できませんでした。彼女は頑固で喧嘩腰で……世界と戦おうとしたんですよ。ネリーは内側に怒りを抱えていました。だから時代が彼女の求めない方向に動いた時、彼女は流れに従うことができず、それに逆らおうとしました。それがネリーの転落を決定づけたんです」
『バビロン』では「自分自身よりももっと大きなもの」という言葉が何度も出てくる。時代の流れに乗れずに滅んでいく多くの映画人たちは、「もっと大きなもの」、つまり映画史という巨大なものに身を捧げた生贄たちとして描かれる。
デイミアン・チャゼルの映画はどれも「もっと大きなもの」に身を捧げる生贄たちの物語だ。『セッション』(2014年)のアンドリュー(マイルズ・テラー)はジャズ・ドラムのために恋人を捨て、『ラ・ラ・ランド』(2016年)のミア(エマ・ストーン)はハリウッド女優、セブ(ライアン・ゴズリング)はジャズ・クラブの経営という夢をかなえるが、結ばれない。『ファースト・マン』(2018年)のアームストロング(ライアン・ゴズリング)は、人類初の月面着陸という使命のため、妻に心を閉ざす。
彼らはみな、目指すもののために個人的生活、幸福、人生を犠牲にする。そんな物語にこだわり続けるチャゼル監督自身が心配になる。
チャゼル:「大丈夫ですよ(笑)。たしかに、仕事と生活、アートと人生のバランスが取れない人たちの物語が僕は大好きです。なぜなら、目指すものと人生のバランスが取れないと、どちらかを選択する羽目になるから。その選択に魅了されます。それは究極の選択ですから。
でも、僕自身は私生活では、そうならないように気をつけています。仕事と生活のバランスの取り方も、だんだんうまくなってきました。だから、そんなに心配しないで(笑)」
『バビロン』でマーゴット・ロビーが演じる女優ネリーは、いつでも泣ける天才的な演技力を持ち、くしゃくしゃの天然パーマで、いつもノーブラ、悲惨な育ちなど、実在の女優クララ・ボウをモデルにしている。
クララ・ボウは、サイレント映画時代のハリウッド最大のセックス・シンボルだった。1922年に16歳で映画デビューし、1929年までの7年間にサイレント映画46本に出演。その主演作のほとんどをヒットさせた。大きなタレ目の愛らしいルックスを基にしてフライシャー兄弟のアニメ・キャラクター、ベティ・ブープが描かれたという。
クララ・ボウの代表作は27年の『あれ』 (原題: It)。It(イット)とは、原作・脚色・製作のエリノア・グリン(注)によると「異性を惹き付ける魅力」のこと。『あれ』は、高級デパートの経営者が「It」を持つ女性を探し求め、デパートの売り子(クララ・ボウ)が見つけ出される、というシンデレラ・ストーリー。『あれ』の大ヒットでクララ・ボウは「イット・ガール」と呼ばれ、それ以降、ハリウッドでは、その時代その時代のセックス・シンボルを「イット・ガール」と呼ぶようになった。
クララ・ボウの得意とした役柄は「フラッパー」だった。フラッパーとは1920年代に登場した自由な生き方をする女性のこと。彼女たちはそれまで女性に押し付けられていた保守的なモラルを打ち破った。
1900年代まで、英米の女性は「ヴィクトリア朝的」といわれる保守的で禁欲的なスタイルを強いられた。教会では女性には性欲はないと教えられ、襟は顎の下まで、袖は手首まである服で肌の露出を徹底的に隠し、しかもコルセットでウェストを細く絞り、骨組みのあるスカートの下には何重にもペチコートをはいた。そんな格好ではスポーツもダンスもできない。女性はただ家事だけをして、家で夫の帰りを待った。酒や煙草などもってのほかだった。
しかし、1910年代、工業化によって生産効率が上がり、資本主義が拡大し、庶民の平均収入が急上昇した。特にアメリカのGDPはイギリスを抜いて世界一になり、株価は高騰、未曾有の好景気に人々は浮かれ、連日連夜パーティを楽しんだ。そんな1910年代はギルデッド・エイジ(金ピカ時代)と呼ばれた。
それに対する反動でアメリカでは1920年に禁酒法が成立。しかし、それがかえって禁じられた快楽として飲酒の人気が増し、アメリカ中にスピークイージー(モグリの酒場)が乱立し、パーティは続いた。そこでは野蛮で猥褻な黒人の音楽として禁じられたジャズが演奏され、人々は教会で禁止された、腰をふるダンスを踊った。そんな20年代をロアリング20S(狂乱の20年代)と呼ぶ。
そんな20年代のパーティで酔って踊る女性たちがフラッパーだ。ヴィクトリア朝の長いスカートもペチコートもコルセットも脱ぎ捨て、ノーブラの上に膝くらいまでの丈でノースリーブのドレスを着た。これはフラッパードレスと呼ばれた。女性の命といわれた長い髪をバッサリ切り落としてショートボブにした。
クララ・ボウはそんなフラッパー・ガールを陽気に演じて人気を集めた。しかし、後にクララ・ボウはこう語っている。
「笑って踊るフラッパーの笑顔の下には悲劇の感情が潜んでいます。彼女は不幸で、この世に幻滅しているんです」
クララ・ボウは演技の天才だった。泣くシーンではいつでも涙を流すことができた。
「泣くのは簡単。子供の頃を思い出せばいいから」
クララ・ボウはニューヨークのブルックリンの貧しい家庭に生まれた。父はアルコール依存症で、何年も失業状態だった。クララ・ボウは私生活でもブラジャーをめったにつけないことで野生児とも言われたが、それはあまりの貧しさゆえに、子供の頃はほとんど裸同然で育てられたからだった。
母は精神病となり、ある日、肉切り包丁でクララの喉を切ろうとしたことで、精神病院に収監され、そこで亡くなった。酒浸りの父はクララをレイプした。
そこから脱出するために、クララは芸能界を目指した。過酷な環境から自分自身を守るため、幼い頃から周りの大人が求めるようにふるまううちに、どんな演技もできるようになった。
トーキーの時代になって、クララ・ボウもパラマウント映画で初のトーキー映画として30年に『底抜け騒ぎ』(原題: Wild Party)という学園コメディに出演した。『バビロン』でネリーが初のトーキー映画で苦労する場面は、実際に『底抜け騒ぎ』の撮影現場で起こったことを実際にパラマウント映画の撮影所で再現している。
それを演出する女性監督ルース・アドラーは実在の女性監督ドロシー・アーズナーをモデルにしている。アーズナーはハリウッド初の女性監督で、レズビアンだった。彼女の監督作品は女性の自由な生き方を描いており、フェミニズムの視点で再評価されている。この撮影中、ブーム・マイクが発明されたという。釣り竿のようにしてマイクを吊り下げ、俳優のいる位置を上からおいかける道具だ。
サイレントからトーキーへの移行で、多くの俳優がセリフの下手さ、声の悪さで人気を失ったが、クララ・ボウは見事なセリフ回しを披露した。しかし、やはり1930年代に急激に下り坂を転げ落ちていった。
狂乱の20年代、フラッパーの時代が終わったからだ。
1929年に株価が暴落して、大恐慌時代が始まった。失業率が3割を超え、パーティどころではなくなった。自粛、緊縮ムードが広がり、ハリウッドでも長年批判されていた自由奔放な性描写を抑えるため、ヘイズ・コードという自主倫理規制が始まる。
自分の時代が終わったと察したクララ・ボウは結婚して引退し、田舎に引きこもった。
1944年、夫は下院議員に立候補したが、クララは自殺を図った。彼女の精神状態はどんどん悪化していった。1949年には精神病院に入り、統合失調症と診断された。幼い頃、母と父から与えられたトラウマが原因と思われた。その後、クララは独りでひっそりと暮らし、60歳で亡くなった。それは1965年、かつてのフラッパー・ドレスのようなミニスカートとショートカットが世界的ブームになる直前だった。
(注:『バビロン』でジーン・スマートが演じるエリノア・セント・ジョンのモデル)
『バビロン』でブラッド・ピットが演じるハリウッド・スターのジャック・コンラッドは、ジョン(愛称はジャック)・ギルバート(1897―1936)をモデルにしている。ジョン・ギルバートはMGMのサイレント映画『メリー・ウィドー』(1925)、『ビッグ・パレード』(1925)、『ラ・ボエーム』(1926)でロマンチックな二枚目を演じ、当時の美男スター、ルドルフ・ヴァレンチノと共に世界中の女性観客を熱狂させた。
特に『肉体と悪魔』(1926)、『アンナ・カレーニナ』(1927)、『恋多き女』(1928)で共演したグレタ・ガルボとは私生活でも愛し合い、絶世の美男美女カップルと呼ばれた。
しかし、1927年にトーキー(音声映画)の『ジャズ・シンガー』 が登場すると、ギルバートの人気は失墜する。
ジョン・ギルバートを主人公のモデルにした映画は、『バビロン』以前に2本ある。ひとつは2012年のアカデミー作品賞に輝いたフランス映画『アーティスト』(2011年)。舞台は1927年、ジョン・ギルバートをモデルにしたサイレント映画スター、ジョージ・ヴァレンティンは資材を投げ売ってサイレント映画の大作を作るが、トーキー映画に夢中の観客には見向きもされず、すべてを失う。
もうひとつは『雨に唄えば』(1952年)。やはり舞台はトーキー出現の1927年。サイレント映画のスターだったドン(ジーン・ケリー)は、セリフのコーチを受けながら初めてのトーキー映画『決闘する騎士』に出演するが、ひどいシナリオのせいでうまくいかない。一般客を呼んでテスト試写すると、ドンが相手役のお姫様の腕にキスしながら「アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー」と繰り返すシーンで観客の大爆笑が起こってしまう。
これは実際にジョン・ギルバートのトーキー映画『彼の栄光の夜』(1929年)で、彼が「アイ・ラブ・ユー」を繰り返しながらキスするシーンで観客の爆笑が起こった事実を元にしており、『バビロン』では、ブラッド・ピット扮するジャックが映画館で自分の演技に爆笑する客を目の当たりにしてショックを受ける。
ジョン・ギルバートがトーキーで急に人気を失った理由には諸説ある。
一般的には、彼の声が甲高くてハンサムな見た目に似合わなかったから、と言われている。しかし、現在、彼のトーキー映画の多くはYouTubeで観ることができるが、彼の声は別に高くない。
もうひとつの理由はMGMのCEOだったルイス・B・メイヤーに干された、という説。メイヤーに侮辱されたギルバートが彼を殴ってしまったので、ひどいシナリオを回されたり、録音した声のピッチを高く変えられた、という。殴ったのは目撃者がいるが、メイヤーは1933年にギルバートとの契約を更新しているので、干したとはいえない。
本当の理由は、『バビロン』のなかでも言われているように、「ただ、彼の時代は終わった」それだけではないか。
『バビロン』には、ジャックがMGMのスタジオでスターたちと一緒にレインコートを着せられて人工雨に濡れながら「雨に唄えば」を合唱させられる場面がある。これはMGMがトーキー時代に対応するためにスターを全員集合させて作った映画『ハリウッド・レヴィユー』(1929)の撮影現場の再現だ。『ハリウッド・レヴィユー』にはストーリーがなく、歌と踊りが続く舞台のレヴュー形式だ。そこからMGMはミュージカルを会社の軸にしていく。
ジョン・ギルバートをモデルにした『アーティスト』のヴァレンティンも、『雨に唄えば』のドンも、ダンスに活路を見出して、トーキーの時代に生き残る。しかし、ジョン・ギルバートはそうではなかった。
ちなみに『ハリウッド・レヴィユー』の宣伝文句はAll Singing, All Dancing(みんな歌って、みんな踊る)。『ファイト・クラブ』(1999年)でブラッド・ピット扮するタイラー・ダーデンはカメラに向かって消費に浮かれる大衆への憎しみでわなわなと震えながら「貴様らAll Singing, All Dancingのクズどもだ」と吐き捨てる。
1936年、アルコールに溺れて体を壊していたギルバートは、心臓発作で亡くなった。38歳だった。ライバルのヴァレンチノがトーキー出現の前年に病死した際には、10万人のファンが葬儀に集まって騒然としたが、ギルバートの葬儀は静かなものだった。
自分の時代は終わったと察したジャックは「でも、けっこう頑張ったよな」と悲しげに微笑む。そのブラッド・ピットの表情には、ブラッド・ピット自身の映画人生も重ねられて、涙なしに見ることはできない。
横浜ブルク13: 14:30-17:50 (189分)
激動のハリウッドを描いた超大作!映画「バビロン」を徹底解説(前編)【町山&藤谷のアメTube】
「ラ・ラ・ランド」の監督最新作、映画「バビロン」。
1920年代のハリウッドは、すべての夢が叶う場所。
無声映画からトーキーへと移り変わる激動のハリウッドで映画界に身を置く3人それぞれの運命を描く。
果たして3人の夢が迎える結末は…?
主演は、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーを迎え、激動のハリウッドで夢を叶えようとする男女を演じる。
本作を町山&藤谷が解説します。後編へ続く!
https://miyearnzzlabo.com/archives/94784
町山智浩『バビロン』を語る
町山智浩 映画『バビロン』2022.12.20【「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督最新作】
『バビロン』(原題:Babylon)
劇場公開日 :2023年2月10日
◆史上最年少でアカデミー賞監督賞を受賞したデイミアン・チャゼル監督の最新作。1920年代のハリウッド黄金時代を舞台に、ゴージャスでクレイジーな映画業界で夢をかなえようとする男女の運命を描く。
監督:デイミアン・チャゼル(セッション、ラ・ラ・ランド)
主演:ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ
#町山智浩 #たまむすび #アメリカ流れ者
ジャック(ブラッド・ピット)のモデル:ジョン・ギルバート John Gilbert
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ギルバート_(俳優)
ネリー(マーゴット・ロビー)のモデル:クララ・ボウ
https://ja.wikipedia.org/wiki/クララ・ボウ
トーキー映画の時代に、下町訛りのセリフが原因で人気が衰えたとされる。
1927年、コメディ映画『あれ』(It) で健康的なお色気を発散するデパートガールを演じた。以来「イット・ガール」(It Girl)と呼ばれる。
1930年代、ハリウッド映画にヘイズ・コードが導入。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘイズ・コード (1934年ー1968年)
女性監督ルース・アドラー(オリヴィア・ハミルトン)のモデル:女性監督ドロシー・アーズナー(ハリウッド唯一の女性監督)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ドロシー・アーズナー Dorothy Emma Arzner
ケネス・アンガー ,(明石 三世訳)『ハリウッド・バビロン』パルコ 2011.リブロポート 1991.
ケネス・アンガー ,(明石 三世訳)『ハリウッド・バビロンⅠ・Ⅱ』リブロポート 1989、1991.
Kenneth Anger Hollywood Babylon. Dutton Adult (1984 )
D.W.グリフィス「イントレランス」1916
https://ja.wikipedia.org/wiki/イントレランス
タヴィアーニ兄弟監督映画『グッドモーニング・バビロン!』(1987年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グッドモーニング・バビロン!
『ジャズ・シンガー』(The Jazz Singer)1927ワーナー・ブラザース(ヴァイタフォン方式による音声付きの映画)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャズ・シンガー
「Wait a minute, wait a minute. You ain’t heard nothin’ yet! (「待ってくれ、お楽しみはこれからだ!」
『雨に唄えば』(Singin’ in the Rain)1952年、アメリカ合衆国のミュージカル映画。
https://ja.wikipedia.org/wiki/雨に唄えば
、サイレント映画からトーキー映画に移る時代のハリウッドをコメディを交え描いた作品。