映画『暴力をめぐる対話』予告
カンヌ国際映画祭2020「監督週間」選出ほか世界が注目。
地方都市から瞬く間にフランス全土へ広がり、マクロン政権に異を唱え立ち上がった市民活動“黄色いベスト運動”。 燃料価格、生活費高騰による社会的不平等に対する怒りと不満が高まるにつれ抗議はときに破壊行為へと激化。2019 年3 月16 日にはパリで200 人以上が警察に拘束され、衝突は今日まで続いていく――。
監督のダヴィッド・デュフレーヌは、警官による暴力行為を市民がTwitterに投稿・報告する “Allo Place Beauvau”をWEB 上で管理する中で、多くのデモが抑圧の対象となり、死傷者を生む凄惨な武力鎮圧の増大を目の当たりにする。はたしてその「暴力」は正当な行為と呼べるものだったのか。いまも世界中の国々で警察と市民の衝突から血が流れる事件が起きている。民主主義国家の存続をかけた重要な問題に対して、本作は傷を負った市民や警察関係組織、弁護士、社会学者、心理セラピストほか24 人にデモの現場を映した数多の映像を提示して、対話を促し、疑問を語り合いながら、正義と呼ばれる「暴力」の原因と結果を考究していく。
2022.9.24~ユーロスペースほか全国公開
http://bouryoku-taiwa2022.com/
映画『暴力をめぐる対話』予告編
フランスのデモ参加者に対する警官による暴力を描いたドキュメンタリー。マクロン政権に抗議して立ち上がった市民らによる「黄色いベスト運動」が、地方都市からフランス全土に広がる中で、警官と市民たちが衝突する。監督を手掛けるのはダヴィッド・デュフレーヌ。『さざなみ』などに携わってきたヴァンサン・ガデールがアソシエイトプロデューサー、『アイム・ノット・シリアルキラー』などのベルトラン・フェヴルが製作総指揮を務めている。
作品情報:https://www.cinematoday.jp/movie/T002…
配給: 太秦
公式サイト:http://bouryoku-taiwa2022.com
(C) Le Bureau – Jour2Fete – 2020
劇場公開:2022年9月24日
https://eiga.com/movie/97684/
フランス政府への抗議活動「黄色いベスト運動」に対する武力行使の記録映像から、人間や国家が抱えるジレンマを追究したドキュメンタリー。
2018年に地方都市から瞬く間にフランス全土へ拡がり、政権に抗議を続ける「黄色いベスト運動」。燃料価格や生活費高騰による社会的不平等への怒りが高まるにつれて抗議は激しさを増し、2019年3月16日にはパリで200人以上の参加者が警察に拘束された。ダビッド・デュフレーヌ監督は、警官による暴力行為を市民がSNS上に投稿する「Allo Place Beauvau」をWEB上で管理する中で、多くのデモが抑圧の対象となっていることや、武力鎮圧の増大を目の当たりにする。デュフレーヌ監督は民主主義国家の存続をかけた重要な問題に対し、負傷した市民や警察関係組織、弁護士、社会学者、心理セラピストら24人にデモの記録映像を提示して対話を促し、「正義」と呼ばれる「暴力」の原因と結果について考察していく。
2020年製作/93分/G/フランス
原題:Un pays qui se tient sage
配給:太秦
https://www.cinemacafe.net/article/2022/08/24/80467.html
公式サイト:http://bouryoku-taiwa2022.com
INTRODUCTION
政権への抗議デモと対峙する警官は、なぜ「暴力」を振りかざしたのか。
市民が撮影した現場映像を再生し、
当事者、有識者ほか24人と共に、公権力への疑問を投げかける
カンヌ国際映画祭2020「監督週間」選出ほか世界から注目が集まる衝撃作が日本公開。地方都市から瞬く間にフランス全土へ広がり、マクロン政権に異を唱え立ち上がった市民活動”黄色いベスト運動”。 燃料価格、生活費高騰による社会的不平等に対する怒りと不満が高まるにつれ抗議はときに破壊行為へと激化。2019年3月16日にはパリで200人以上が警察に拘束され、衝突は今日まで続いていく――。 監督のダヴィッド・デュフレーヌは、警官による暴力行為を市民がTwitterに投稿・報告する “Allo Place Beauvau”をWEB上で管理する中で、多くのデモが抑圧の対象となり、死傷者を生む凄惨な武力鎮圧の増大を目の当たりにする。はたしてその「暴力」は正当な行為と呼べるものだったのか。いまも世界中の国々で警察と市民の衝突から血が流れる事件が起きている。民主主義国家の存続をかけた重要な問題に対して、本作は傷を負った市民や警察関係組織、弁護士、社会学者、心理セラピストたち24名にデモの現場を映した数多の映像を提示して、対話を促し、疑問を語り合いながら、正義と呼ばれる「暴力」の原因と結果を考究していく。
STAFF
Director
ダヴィッド・デュフレーヌ David Dufresne
ドキュメンタリーの作家であり監督であるデュフレーヌは、「Allo Place Beauvau」でAssises Internationales du Journalisme(国際ジャーナリズム会議)の審査員最優秀賞を受賞。2019年10月、初の小説『Dernière Sommation[最後通告]』(グラッセ出版)を出版し、批評家たちから高く評価された。
テレビドキュメンタリー『Le Pigalle: une histoire populaire de Paris[ピガール、パリの大衆の歴史]』(2017年)は、各メディアから絶賛され、その他の作品に『Hors-Jeu[オフサイド]』『Dada-Data[ダダ・データ]』『Fort McMoney[フォール・マクモニー]』などがある。『Prison Valley[プリズン・ヴァレー]』(フィリップ・ブローとの共作)で2011年世界報道写真賞のインタラクティブ部門賞を受賞。2007年に発表した初のドキュメンタリー『Quand la France s’embrase[フランスが燃える時]』では、2005年の暴動とCPE(初回雇用契約)反対運動を扱った。 著作には『On ne vit qu’une heure, une virée avec Jacques Brel[私たちは1時間しか生きられない ジャック・ブレルとの旅]』 (スイユ出版、2018年) 、ルモンド紙が「小さな傑作」と賞賛した『Tarnac, magasin general[タルナック、雑貨店]』(カルマン・レヴィ出版、ジャーナリズム会議賞受賞、 2012年)などがある。2001年には『Pirates et Flics du Net[ネットの海賊と警察]』(スイユ出版)を共同執筆している。リベラシオン紙の記者を長く務め、調査サイト『メディアパール』の創設チームの一員でもある。フランスのインターネットのパイオニアであり、「ウェブ・インデペンダント宣言」(1997)の著者の1人でもある。2018年9月より、Scam(マルチメディア著作権関連団体)の視聴覚目録委員会委員を務める
INTERVIEW
- あなたは警察の暴力を、小説ほか様々なメディアで扱っています。今回はなぜ映画という形をとったのですか?
国連特別報告者であるミシェル・フォルストはこの映画の中で、スマートフォンの登場が彼の仕事に革命をもたらしたと明かしています。この映画はこの転換期、突如として出現したリバースショットをとらえたものです。私が立ち上げた「Allo Place Beauvau」というデータベースの中で、積み重ねられた動画が意味を生み出しました。数か月に渡ってまとめられたこの資料に1つの形を与え、検討し、分析することは重要なステップであるように思えました。私が書いた小説はこの時の私の内的なビジョンであり、「Allo Place Beauvau」は事実のビジョン。本作『The Monopoly of Violence』(英題)は議論です。これは私が映画で何よりも好きなことです。映画とは集団的なものであり、集団で見られ、議論を呼ぶものです。これに代わるものはありません。警察について、その役割、社会における立場についてこれまで以上に議論する必要があります。今、世界中の国々が警察による暴力という問題に直面しています。民主主義国家にとって、これは存続をかけた非常に重要な問題です。
- 出演者の中には、デモ現場の映像を見ながらそのまま分析する人もいれば、そうでない人もいます。基本の設定はありましたか? それとも出演者それぞれに合わせたのでしょうか?
まず、スクリーンの前に置かれた古いビストロのテーブルを挟んで対面してもらいました。それから彼らは等身大もしくはそれ以上の大きさの映像を見ます。映像の解読の仕方は人それぞれです。セットのシンプルさによって、各ペアで全く同じことをするのではなく、バリエーションを持たせることができました。各ペアの会話はお愛想のものではなく、「意見は違ってもいいから対話をしよう」というこの映画の原動力が生むものです。
- 出演者をどのように選んだのですか?
彼らの職業、仕事、そして映画の中心テーマ「正当な物理的暴力の独占」についての考察で決めました。社会学者、歴史家、警察関係組織、作家、手を失い仕事を失った配管工、片目を失い大型免許を失ったトラック運転手……。警察の暴力の被害者については、彼らのコミットメントと高潔さ、精神、明晰さから選びました。
- この映画はマックス・ヴェーバーの有名な文「国家は正当な物理的暴力行使の独占を保持する」を中心に構成されています。あなたはこの言葉が正しいと思いますか? それとも異論の余地があると思いますか? もしくはその時々の政治的・社会的な状況によって議論の対象になるべきだと思いますか?
あなたが引用したのは、テレビ番組で競うように何度も繰り返されたものですが、実際の文は「国家はその利益のために、正当な物理的暴力行使の独占を要求する」です。重要なのは「要求する」という言葉です。要求には「議論がある」という特性があります。これがこの映画そのものなのです。
内務省や警察組合、ジャーナリストの大半が主張するのとは逆に、この独占はすでに獲得されたものではなく、常に異論の余地があるものなのです。そしてこの映画は、まさにこの独占に対する異議申し立てであり、それを裏付ける資料と論拠なのです。国家にこう言っているのです。「正当な暴力の独占を要求するんですか? それならそれにふさわしくありなさい、正当でありなさい」。
- エンドクレジットより前に出演者の名前や職業を示さないのも印象的でした。これはなぜでしょうか。
先入観からは離れて、対話を重視してほしいからです。人は外見で判断されますし、画面のテロップが画面に映る人を専門家に仕立て上げるのです。もし「この人は警察連合の書記長で、この人は研究者、この人は弁護士」などと示せば、視聴者は話し手の言葉が発せられる前から、その言葉に先入観を抱いてしまいます。中には簡単に想像できる出演者もいますが、誰が話しているかをすぐには示さないことにしたのは、観客たちにこう言いたいからです。「皆の話を先入観なしに聞いてください。そのあとで誰が話していたかが分かります」。また、こうも言えます。「あなたは自分自身を、確実性において判断しますか? 推論で判断しますか?」
通常の表示をしないということは、観客の好奇心と聞く姿勢に賭けるということでもあります。出演者の名前を表示するのは非常にテレビ的な手法で、視聴者にチャンネルを変えられないようにするための方法のひとつです。でもこれは映画ですから、テロップが出ないからと言って人々は映画館を出ていったりしません。観客はとある問いについて考える時間に身を投じているのです。これが映画の偉大さ、自由です。
- 政府は、フランスでデモをすることは完全に合法で認められており、警察の暴力は常に一部のデモ参加者の暴力行為に応じるものだとしています。警察の暴力を受けずに平和的に行われるデモがある以上、この主張にも真実があるのではないですか?
私は映画の中で、黄色いベストが武器を持たずにエリゼ宮に近づく、初出の映像を出しています。デモ隊は怒りを表明するために地方からパリに来ました。彼らが国家転覆を主張していたというのは誤りです。それなのに、2018年末からこのメッセージが一人歩きしています。国家によるこれらの嘘も暴力の1つの形でしょう。デモ参加者の大半は、集会の自由の権利を行使している市民であり、この権利は憲法で完全に認められています。しかし例外的な法律や手法でこの権利がどんどん踏みにじられています。一部のデモ隊が暴力的であることは確かですが、問題は、この暴力が違法なのか政治的なものなのか、ということです。他の権力者と同様に、エマニュエル・マクロンはこの暴力を、その政治的性質を否定するより先に、犯罪とみなしました。壊す、反撃する、警察を攻撃する。暴力を通じて政治的な態度を表明することに反対するのはいいですが、その政治的性質をいつまでも否定することはできません。
作家のアラン・ダマジオは映画の中で、私たちの社会では、経済的、社会的、政治的な見えない暴力が存在することを指摘しています。そしてこの暴力が目に見えぬまま拡散し、一部のデモ隊の暴力行為を誘発しているのです。警察は、警察による暴力の背景、石が投げられたとかの、衝突が起きる10秒から20秒前のことを考慮していない、と言って私を非難します。しかし、背景とは、10秒前のことではありません。30年前からの経緯が「背景」なのです。この暴力のメカニズムがどこから来ているかを理解するために、距離をとっているのがこの映画です。
- この映画は、市民と警察の関係の重大な総括です。観客はこの映画を見た後、どうすれば前に進めるのか、どうすればこの悪循環から抜け出せるのかを自問することでしょう。近隣諸国は、フランス当局が学ぶべき事例を提供しているでしょうか?
映画の中で、「人間と市民の権利宣言」の第12条が読みあげられます。「人間と市民の権利の保障は公的な力を必要とする。この力はすべての人の利益のために設けられるのであって、それを委託された者の特定の利益のために設けられるのではない」。私は本当にそうだと思っています。社会学者のファビアン・ジョバールが映画の中で思い起こさせるように、警察、公的な力、つまり皆の監視の下にあり、市民により注視されるべき警察について、市民がもっと関心を持つようになれば、解決の糸口が見えてくるはずです。民衆の圧力を受ければ、どんな政府でもその行動規範を修正します。忍び寄る危機の厳しさを目の当たりにすれば、警察力による管理では解決できないことが分かります。私たち一人一人が関心を持ち、公権力に疑問を投げかけ、説明を求めねばならないのです。
ユーロスペース:18:45-20:30 (93分)
http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000617
2022-09-27(火) たまむすび 町山智浩 アメリカ流れ者 Netflix映画 『アテナ』ドキュメンタリー『暴力をめぐる対話』
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-144690
映画『暴力をめぐる対話』劇場公開決定!世界の映画祭で論争呼ぶ衝撃作が日本上陸!!