Bunkamura ザ・ミュージアム『ミロ展―日本を夢みて』スポット映像
国内では20年ぶり、待望の大規模ミロ回顧展
ミロ展―日本を夢みて
会期:2022/2/11(金・祝)~4/17(日) ※2/15(火)、3/22(火)は休館
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
展覧会詳細:https://www.bunkamura.co.jp/museum/ex…
Bunkamura ザ・ミュージアムTOP:https://www.bunkamura.co.jp/museum/
ミロ展―日本を夢みて in Bunkamuraザ・ミュージアム
単品でちょこちょこ見るんですよねぇ。ジュアン・ミロ。パウル・クレーみたいなんですけど、ミロの方が何故かしっくり来るのです。
で、やっと20年ぶりの大回顧展と言う事で、期待大でした。
サブタイトルの「日本を夢みて」単なるジャポニズムにかぶれただけではなくて、もっと深遠な日本へのあこがれー詩人・批評家の瀧口修造との交流ーと言うか友情にまで深化していた。これが抽象画ながらしっくり来る理由だったのでしょうか?
会場も人だかりで、人気あるのですねぇ。
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ミロ展 ―日本を夢みて
【会期】2022/2/11(金・祝)~4/17(日)
【会場】Bunkamura ザ・ミュージアム
https://www.fujitv.co.jp/events/art/m…
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Bunkamura ザ・ミュージアム『ミロ展―日本を夢みて』ジュアン・プニェット・ミロ氏インタビュー&メッセージ映像
https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/6690
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25204
公式サイト:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_miro/

見どころ
本展では次の4つのポイントでミロと日本の相思相愛ぶりをたどります。
1920年ごろ
若き画家・ミロ
―日本への興味の芽生え
ミロは1888年に開かれた万国博覧会で始まったジャポニスム・ブーム真っ只中のバルセロナに生まれました。ミロの生家の近くにも日本美術の輸入販売店があり、初の個展を開いたダルマウ画廊でも日本美術の展覧会がたびたび開催されていました。こうした環境で育ったミロは、早くから日本文化への憧れや興味を示します。
「一枚の草の葉には、一本の木や、山と同じだけの魅力がある。素朴な人たちや日本人のほかは、ほとんど誰もが、これほど神聖なことを見過ごしている」という言葉を残した若き画家ミロは、浮世絵にも親しみ、特に葛飾北斎を敬愛していました。その熱中ぶりは、《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》の背景に、浮世絵をコラージュするほどでした。本作はミロと日本の繋がりを示す出発点であり、こうした日本への興味をうかがわせる、ミロの若き日の作品を多数展示します。
浮世絵を背景に
貼り付けた肖像画
若き日の
日本へのあこがれ
画家で日本美術のコレクターの
友人をミロが描いた作品。
実物の浮世絵を切って、
コラージュしている。
ジュアン・ミロ
《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》
1917年
油彩・コラージュ、キャンバス
ニューヨーク近代美術館
© The Museum of Modern Art, New York.
Florene May Schoenborn Bequest, 1996 / Licensed by Art Resource, NY
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
浮世絵に通じる
風景の表現
ミロが24歳の時に描いた作品。
画面の奥行きを圧縮したような独特の遠近感と
単純化した地形の表現は、
浮世絵の空間表現を思わせます。
ジュアン・ミロ 《シウラナ村》
1917年 油彩、キャンバス 吉野石膏コレクション(山形美術館寄託)
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
ジュアン・ミロ
《絵画(パイプを吸う男)》
1925年 油彩、キャンバス 富山県美術館
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
ジュアン・ミロ
《花と蝶》
1922-23年 テンペラ、板 横浜美術館
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
1920年-1945年ごろ
新たな表現を目指して
―描くことと書くこと
バルセロナで気鋭の画家として活動していたミロは、さらなる飛躍を目指し、1920年に芸術の都パリに行き、独自の表現を模索します。時に一般的な画材ではない素材を効果的に用いるなど「素材との対話」を深める一方、絵を「描くこと」と文字を「書くこと」を同じようにとらえたミロは、「絵画と文字の融合」を追求するようになります。
本展のみどころの一つでミロの絵画と文字による独自の表現の代表作として挙げられる《絵画(カタツムリ、女、花、星)》は、56年ぶりの来日を果たします。
文字を絵のように扱う描き方は、日本の書の関心へとつながっていきます。戦争によりマジョルカ島へ逃れた1940年頃から、ミロは日本の墨と和紙を用いて描線の太さや濃淡の実験を繰り返し行うようになりました。書のような自由闊達な黒い線と、従来からの丁寧で細い描線による人物たちが共存する最も美しい例の一つとして、《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》が出品されます。
絵の中で踊る
4つの言葉
この絵には4つのフランス語が隠れています。カタツムリ(escargot)、女(femme)、花(fleur)、星(étoile) すべてミロがよく描いたモチーフです。
ジュアン・ミロ
《絵画(カタツムリ、女、花、星)》
1934年 油彩、キャンバス 国立ソフィア王妃芸術センター
Photographic Archives Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia, Madrid
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
カリグラフィックな文字と
絵画の融合
画面の中央に据えられたオルガンと星一つだけがまるで書のように自由闊達な黒い線で表されています。
ジュアン・ミロ
《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》
1945年 油彩、キャンバス 福岡市美術館
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
1945年-1983年
日本を夢みて
―そして、二度の来日へ
「素材との対話」と「絵画と文字の融合」は、第二次世界大戦以降のミロ制作活動に新たな展開を与えました。それは、陶器制作への熱中、書道を思わせる黒い大胆な線描、日本の民芸品への愛着につながっていきます。
日本文化に造詣が深い陶芸家ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガスとともに、戦後ミロは積極的に陶器の制作を始めました。当初はアルティガスのやきものに絵付けをするだけでしたが、やがて二人の共同作業は、互いの持ち味を引き出しあう唯一無二の作品に進化していきます。
ミロとアルティガスを
つなげた「日本への愛」
2人の対話から生まれた
陶器を出展
ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガス、
ジュアン・ミロ 《花瓶》
1946年 炻器 個人蔵
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
また、ミロは友人らが持ち帰った日本の文物、特にやきもの、書、民芸品等日本の文化に実際に触れ、さらに日本人コレクターや批評家との交流を通して日本への旅を夢みるようになります。その夢は早くからミロの魅力を見出した日本側のラブコールによって実現します。1962年国立西洋美術館等での大規模な版画展に続き、1966年に国立近代美術館でも回顧展が開催され、この時ミロは念願の初来日を果たしました。
「長い間、日本を夢みていた」と積年の想いを口にしたミロは二週間ほどの滞在で、1940年に世界初のミロのモノグラフを発表した瀧口修造と26年の時を経てようやく対面したほか、作家の佐野繁次郎、勅使河原蒼風、岡本太郎らと交流。更にやきもので知られる信楽や瀬戸等の窯元も訪ね、精力的に各地を巡りました。
ミロの来日時の貴重なスナップ写真のほか、日本の文化人たちとの交流を示す作品や資料を紹介します。
京都・龍安寺の方丈庭園(石庭)をみつめるミロ(1966年9月28日)
毎日新聞社提供
ミロが日本に初めて来日したのはなんと73歳の時。
東京と京都で開催された「ミロ展」にあわせ1966年に初来日しました。東京では東急線沿線の上野毛にある五島美術館にも来館し、日本の至宝を鑑賞したそう。帰国後、そこで見た雨の景色に着想を得て作品を制作したともいわれています。
2週間ほどの訪日期間のうち、新聞を通じて連日のように報じられ、帰国にあたりそれらの写真の中からミロが気に入ったものを選んで記念アルバムが作られ、ミロやアルティガスに送られました。
《雨の五島美術館で和傘を差すミロ一行》
五島美術館の庭園を鑑賞している時の様子。
来日以降のミロの作品には、油彩・水彩を問わず、書道の滲みや跳ねの動きを感じる黒く太い線が多用されるようになります。ミロ自身も「日本の書家たちの仕事に夢中になったし、確実に私の制作方法に影響を与えている」と語っています。また巻物の形態をとった作品等も直接的な日本の影響を感じさせます。
若い頃から日本に魅力を見出したミロと、世界に先駆けてミロの魅力を見出した日本。両者の関係はミロの二度の来日により確実に深まり、そのことは本展の数々の展示品が色濃く物語っています
日本の書画が与えた影響
戦後の作品に特徴的なミロの太く黒い線描は
1966年の来日以降はさらに大胆になり
流れる絵の具をそのまま効果として
用いるまでになります。
ジュアン・ミロ 《絵画》
1966年
油彩・アクリル・木炭、キャンバス
ピラール&ジュアン・ミロ財団、マジョルカ
Fundació Pilar i Joan Miró a Mallorca Photographic Archive
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
ジュアン・ミロ
《マキモノ》
1956年
捺染、絹
町田市立国際版画美術館
© Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4304
※東京展では一部の展示になります。
ミロのアトリエから
―ミロを取り囲むたくさんの日本
ミロが愛してやまなかったモンロッチのアトリエや晩年を過ごしたマジョルカ島のアトリエには、友人から贈られた日本の民芸品や拓本類、そして来日時にミロ自身が購入したものを含め、様々な日本の品が飾られていました。
ミロの蔵書のほか、制作に用いられた刷毛やたわし、和紙の束等からも生涯にわたり日本に親しんだ彼の姿を垣間見ることができます。本展ではこれらミロ旧蔵の貴重な品々が数十年ぶりにまとまって「里帰り」して皆様をお迎えします。